トランプにノーベル平和賞?

 最近トランプ大統領に対する真面目な論評を目にすることがなくなった。「何を言いだすか、何をしでかすか分からない」人物の言動をまともに取り合っていては、こちらが恥をかくことになりかねないからだ。みんなが一歩も二歩も引いて眺めるようになっている。ねじれ議会で思うようにやれなくなった自分自身の危機を、国家の危機、非常事態にすり替えて、しかもそれに疑問すら持たない人物が大統領というのだからアメリカ国民もまことに危うい。「小学校5,6年生程度」の知識しかないと職を解かれた誰かが言っていたが、真実に違いない。しかし、他人事ではない。程度の低いトップは我が国にもいる。今日のテーマではないが、「自衛隊明記」で目くらまし、改正憲法に「非常事態宣言」ならぬ「緊急事態条項」を盛り込もうと画策している人物が。
 そんなトランプなのだが、そのトランプを我が国総理安倍晋三ノーベル平和賞に推薦したという衝撃のニュースが飛び込んできた。私は朝のNHKニュースで知った。トランプが得意げに安倍からの手紙を手にしてTVに映っている。「まさか」と思いつつも、あのトランプの笑顔、NHKの報道だ、何かの勘違いということではないのだろう。しかし、ネットでも大騒ぎになっている筈と思いきや、何回開いても出てこない。どうしたことか、1日落ち着かない気分で過ごした。
 今朝になって、朝日新聞に、政府関係者の話として「非公式な要請に応じて推薦した」という記事が載っている。ようやく事態が飲み込めた。まさか!ノーベル平和賞推薦の事実をトランプが公表してしまうとは!!ノーベル賞委員会への推薦はそれ自体が秘匿事項という話もある。無知無配慮、お調子者のトランプならではの行動だ。これは、安倍、政府にとっても、想定外びっくり仰天の一大事であったに違いない。表に出ないと思えばこそのご機嫌取りだった可能性もないではないからだ。
 どう対処したらいいものか、思案投げ首。あのトランプをノーベル平和賞に推薦? 誰が考えても、知られれば世界に恥をさらすことになる話だ。さりとて、フェイクニュースと否定すれば、トランプを嘘つき呼ばわりすることになる。「推薦などしていません」もトランプに失礼だ。トランプに「実は勘違いで、こういう話だったことにしてくれ」と指示、相談もできない。ここは自分の部下とは訳が違う。さあ困った。事実である以上、ここで無理に否定したところでいずれ露見する。
 これが、そのニュースバリューに比して余りに不自然な「間」を生んだのだ。そして、結果、ひねくり考え出されたことが、政府関係者の話「トランプ側から非公式な要請があり、これに応じただけ」なのだろう。「非公式」なら「誰からのどんな話」だったかを説明する必要がないし、「要請に応じただけ」なら自分で真剣に考えて積極的に行動したことではなく、「外交上のお付き合い程度の話」で逃げ切れる。これでいこう。そう考えると、表向きもの静かだったこの間の時間の流れにも納得がいく。いかにも我らが総理安倍晋三の考えそうなことではないか。しかし、国民は、ここ2年間の安倍政権の振る舞いを知り尽くしている。この「しばらくの間」が示すことが何なのかを良く知っている。鳩首協議、緊迫の密談。この政府関係者の話はウソである。真実ならトランプが話した直後に官房長官が対応できている。
 それにしても何という非常識不見識な我が国総理か!!ご機嫌取りにしても、軽々しさの度が過ぎる。世界が呆れて相手にしないトランプである。それに忠犬のようにすり寄る安倍への批判はこれまでに幾度となくしてきたが、お調子者同士の「よいしょ」も事ここに極まれりである。核軍縮条約を一方的に破棄し、全ての政治経済分野において「自国第一、自分の国さえよければよい」、国際協調などくそくらえ、そんなアメリカ大統領を、こともあろうに「ノーベル平和賞」に推薦するとは! 日本にとっても、日本を射程に入れた北朝鮮の核ミサイルは全部そのままスタンバイしてあるというのに!
 「日米核密約を隠し通した佐藤栄作ノーベル平和賞を受賞した。トランプの後ろ盾があれば自分もひょっとして・・・」、そんなことを考えても不思議のない人物だ。一刻も早く辞めてほしい、終わってほしいと願い続けているが、それまでの間も、少なくとも、自分の言動が、自分だけでなく日本国民の恥にもなるということくらいは弁えて行動してもらいたいものだ。
 

日銀黒田の「株買い」批判で今年を〆る。

   安倍政治のあまりの醜悪さに、怒りのはけ口を求めて今年始めたブログ。〆はこれまでも何回か触れてきた「日銀黒田の株買い」とする。
 沖縄県民の民意を踏みにじる辺野古工事の強行に、玉城知事は「決して諦めない」と声明を発表した。「責任」という重い社会用語を辞書から消去してしまうような、愚挙妄動を繰り返す安倍政権を決して許してはいけないし、諦めることなく、安倍政治の終焉に向けて引き続きみんなでそのための知恵を絞り続けていかなければならない。ただ、このところの政治的雰囲気には、その可能性を思わせる予兆もいくつか見えつつあるのも事実。森友加計問題以降も安倍の国会軽視国民無視は変わらないのに、見方によっては国民が静かになった印象がないでもないが、取り違えてはいけない。国民は決して諦めて静かにしているのではない。ここまでの体たらくを見せつけられると、一々腹を立てるだけこちらの損、腐りきった政治に確実に天誅を下すことのできる国政選挙の日を待とう、国民の多くはそう腹をくくっているのである。
 それに比べて、なかなか国民の間に浸透していかないのが、この「日銀黒田の株買い」問題である。年間6兆円という額、国の年間予算が約100兆円だから、その6%に当たる。来年の消費税アップで得られる税収は1.3兆円に過ぎない。いかに膨大な金額であるかが分かろうというもの。これほどの金額で、日銀は実際に札を刷り、株を買っているのである(買うのは「ETF」指数連動型上場投資信託という商品)。売りに出た株主は代金を手にし、証券業界には巨額の手数料が入る。買う一方だから、日経平均株価は国際的マイナス要因があっても高値で維持され、株主は潤い、市場原理のもとでは必ず出るはずの損失もその分少なくて済む勘定になる。年間6兆円ということは、月平均で5000億円である。ようやく見つけた。国家機関の仕事なのだから当然ではあったが、日銀のホームページに日銀のETF買い入れ額が公表されている。米中の貿易摩擦絡みで株価が大きく下落したこの10月には、5日9日10日11日12日15日19日22日23日24日25日29日に各703億円何と合計8436億円もの株買いが実施されている。株価下落局面での月平均を大幅に上回るこの月の買入額、これ一つを見ても、これが黒田の言うような経済対策などでは決してなく、ひたすら株価を維持するためのものであることが明白である。
 一般庶民の預貯金の利息は数十年にわたってほぼゼロ。他方で、株式市場、一般的にはほとんどが富裕層と言っていい株主へはこの大盤振る舞い。こんなやり方がいつまで許されるのか。国民はまだ気づいていないのか? そして、気づいているなら、一体いつまで国民はこんなことを許す積りなのか? 
 国民が見過ごしてしまう理由の一つは、日銀の仕事ということだろう。中央銀行と言えば、政府からは独立し、独自の経済分析、中長期の経済見通しに基づき客観的に必要と考えられる適切な金融政策を実施する機関と教えられている。確かに日銀総裁の人事も含めてかつてはそうだった。安倍政治は違う。安保法案の時の内閣法制局長官の更迭に見られたように、これを平気でひっくり返すのが安倍だ。彼の言うことを聞く者が出世をし、地位を保証される。自分の思うがままの政治を力づくでつくりだす、それが安倍政治。国債の大量購入、異次元金融緩和による2%の物価目標は5年経っても実現されないというのに、責任はなし、黒田は当たり前のように再任される。日銀が政府から独立した国民のための本来の機能を喪失しているにも拘わらず、この「日銀のやることだから」が、あたかもまっとうな金融政策であるかのように国民を錯覚させ、その目を曇らせてしまっているのかもしれない。
 これをもし国がやったら、国民も直ぐに気がつく。国がやるには財源が必要だ。これを国債を発行して調達するとなれば、国民から借金をしてその借金分6兆円をそっくり株主に配る話になるのだから、国民も黙っていない。輪転機で札を刷ればいいだけの日銀がいい隠れ蓑になっている。直ちにインフレ懸念を口にするような金額ではないし、札を大量に刷ったところで日銀貸借対照表の負債の部が少し増えるだけで、これに見合う株式が資産の部に入るのだから、貸借バランスはとれていて当面債務超過になることもない(ただ、将来、株価が下落すれば債務超過が生じ、株式会社である日銀を倒産させられないとなれば、国費=税金投入が必要になり、最後は国民の負担となるのだが・・)。例によって、自分(の政権)の時が良ければ良し(正確には、良く見えさえすれば良し)、次の政権担当者、国家国民の将来などお構いなしである。
 さて、日銀の株買いも、名目は経済対策である。金融機関からの国債大量買入れ同様、設備投資資金等の借り入れが少なく経済活動が低調な民間市場への資金の投入、これが黒田が語る日銀株買いの建て前である。しかし、これはまったくの口実に過ぎない。前述の突出した10月の購入額でも明らかなのだが、次の事実も指摘しておこう。日銀の国債買い入れ額は年間80兆円が目標である。これまでに日銀が買い入れた国債は既に国の発行済み国債の半分にも達しようとしている。それなのに、その国債代金の多くが、借入需要がないことで貸付(市場)には回らず、売り主金融機関の日銀当座預金口座に眠ったままになっているのである。株主に配られる株代金僅か?6兆円が一体何の経済対策になるというのか。ここでは、金持ちに金を配れば、貧乏人に金が「トリクルダウン(=滴りおちる)」するとは、さすがの黒田、安倍も言えないようだ・・・・。黒田はいつまでこんな国会答弁を続けるのか? そしてまた、野党議員たちはいつまでこんな国会答弁を許し続けるのか?
 経済対策が口実にすぎないとすると、日銀株買いの真の狙いは何なのか。一つは、これまで成功してきたように株高を演出することだ。先に述べたとおり、この10月日銀が8400億円もの買い支えをしなければ、株価はさらに大きく下落していた。日銀の買い支えに安心して株主はまた株買いに向かうことになる。まだ儲かる、最後は日銀が面倒をみてくれる。本当に経済が良くなって初めて株は上がるものだが(株価は経済の体温計と言われる)、政権の関心はそんなところにはない。大事なのは見かけ上で構わない張りぼて株価、それでよいのである。既に色褪せつつあるが、今も、株高はアベノミクス好調の旗印である。そうである以上、何としても黒田は買い支え続ける。それは黒田の安倍への忠誠心の表明であり、とりたててくれた安倍への恩返しでもある。
 もう一つは、富裕層に偏った露骨なバラマキと言われようが一向に構わない居直りである。国民全体の生活水準の底上げ、最大多数の国民の幸福などもはや安倍政権の念頭にはない。あったとしてもとうに捨てている。今の小選挙区制の下なら、国民各界各層からの薄く広い支持など必要ない。何と言われようが、固い2~3割くらいの一部国民の支持さえ確保すれば、自民党そして自分の権力の座は安泰なのだ。金を配られる株主が歓迎しないはずはなく、莫大な手数料収入を手にする証券業界もまた、国民に知られないように、「ナイショ・ナイショ」を決め込んでいる。それもまた、このあまりにも理不尽で酷い金融政策?がいまだに国民に広く知られることなく続けられている理由なのかもしれない。
 ただ、この間見られる、経済指標のわずかな変化、或いは、日産のカルロス・ゴーンの逮捕、中国ファーウエーの女副社長の逮捕、釈放など米中貿易摩擦をめぐる部外者にはどうでもいいような出来事に一々反応して右往左往、狼狽気味に売り買いを繰り返す株主と不安定な株価の動きに、これまでとは違う株主心理の変化が見えないでもない。日銀株買いが今の株価をいくら支えているのか、日銀はいつ株買いから撤退することになるのか、それによってはとんでもない大損をすることもあり得るからだ。誰も損はしたくない。アメリカの為替操作経済政策への圧力も強まる一方だ。或いは、株が大暴落し、日銀が国民の大バッシングにさらされて株買いから撤退せざるを得なくなる日もそう遠くないのかもしれない。
 ともあれ、国民の預貯金の金利はいつまでもゼロ、富裕層へは大盤振る舞い、国民の間の格差拡大と分断が心配される今、こんな金融政策が許されようはずはなく、国民全体が真剣にその是非を考えて声を上げるべき時がきている。株高の恩恵に浴する議員が多いということなのか、野党もサッパリ国会で追求しようとしないのだが(立憲民主党の窓口メールに党の方針を尋ねてみたが返事すらない)、このままでいいのかどうか、この年末年始、通常国会までにじっくり考えてもらいたいものだ。 

官民ファンドJICと経産省のドタバタ劇 安倍政権の終わりの始まり

こんなことがここしばらくの間あっただろうか。安倍も当然承知のJIC役員に対する高額報酬の約束がひっくり返された。後始末もかつてなく早い。大臣、事務次官の給与カットもうす気味が悪いほど迅速だ。日銀に年間6兆円もの札を刷らせて株を買わせ、景気をよく見せるための株価のつり上げを指示する安倍が、この役員の高額報酬に反対なわけがない。「政府の金も投入するからどんどん投資して稼げ、それで景気が良くなるなら、それ相当の報酬は当たり前だ」、これが彼のごく普通の発想だろう。国民の税金を使って企業に投資し、それで金を儲けたら、儲けの2割は成功報酬として役員に分配する約束も含まれていた。国民の目からはビックリ仰天の話だ。国民の税金をほしいままに使って、儲かればその分け前にあずかり、損が出ても「失敗だったか」で責任はとらなくていいのだから、これほどおいしい話はない。「そんなバカな」の国民目線が安倍にはない。また、JICの社長も「一旦約束したことは守れ」と怒っているというのだから呆れてしまう。わが国の上層部、金持ち連中の頭の中は一体どうなってしまっているのか。金と欲だけに支配されているとしか思えない。
 この約束が事前にマスコミにもれてしまったことが今回のドタバタ劇の始まりのようだが、それがなければ約束のままに決められていたことだった。そして、後から判明したところで、安倍は例の調子で、「私は知らなかった」? 或いは、「それ相当の報酬で当然」と国会で屁理屈を並べて頑張り通したことだろう。
 漏れたところで今まで通り居直ればいいものを。そのいつものやり方を今回できなかったことが私の注目点である。この事実が知られて異論が噴出した、と記事にはある。お上が決めたことに、自民党議員の中に異議を述べる者が多くいたと理解していいのだろう。少し前までに比べれば、これ自体が自民党内の大きな変化だ。さらにまた、ここに、その意見を政府が聞かざるを得なかった、受け入れざるを得なかった、という事実が加わるのである。これは一強安倍にとっては一大事である。意味不明の日本語を自在に操りどのようにでも話を捻じ曲げて逃げきる、それで安泰だった安倍政権。それが後ずさりして撤回するとは! 久しく見ることのなかった景色ではないか。
 外国人労働者受け入れ問題を見ても、追い詰められればなおさらに強引な手法に走る、「そこのけ。そこのけ」式で傍若無人の国会運営を常態化させている安倍にしては?の珍しい行動だ。 カルロス・ゴーンの日産高額報酬隠蔽問題の真っただ中、庶民の預貯金の金利ゼロ、日銀の株主への大盤振る舞いは平気、格差拡大を意に介さない安倍も、さすがに自分の足元の高額報酬容認では、国民に対して「説明がつかない」、国民の神経を逆なでしかねない「まずい問題」と踏んだのだろうか。この反省なしの素早い変わり身も彼の得意技の一つではあるのだが、先のブログで、総裁選、沖縄知事選以降の安倍政権弱体化の期待を述べた私としては、その兆候の一つとして大いに歓迎すべき出来事には違いない。
 今日の新聞には、「参院憲法審 審議見送り」「自民 国民投票法改正も先送り」の記事もある。これも、「国民に嘘も平気な安倍政権に憲法をいじらせるわけにはいかない」、この間の政治の流れからは、全く当たり前の事なのだが、当たり前のことが当たり前にいかなかったのがこれまでの安倍政治だった。自民党国会議員の中にも、このままではいけない、このまま安倍についていったらわが身が危ない、国家国民のことというより、或いはその程度の理由なのかもしれないが、それでも、今までとは違う何かを考え始めている人たちが出てきていることは間違いなさそうだ。
 来年の参議院選挙がくれば、国民は安倍政権に対する正しい答えを間違いなく示すだろう。そのことを肌で感じている安倍は、この先、唯一自分が政権の座に生き残れる可能性のある、衆議院の解散、衆参同日選挙の実現に向けて、その口実作りに血道をあげることになる。消費税増税延期、北方領土問題の方針転換・・・・彼にとっては最後のあがきであり、その口実は何でもありということになるのかも知れない。
 こうした私利私略、解散のための解散は何としても阻止しなければならないが、「衆院解散」は総理の専権事項、残念ながら、野党にも国民にもこれをやめさせる直接の手段はない。これまで通り、安倍は聴く耳持たずに突っ走るからだ。できるとしたら、それは自民党の国会議員であり、また、あの総裁選でその良識を見せてくれた自民党党員の人達である。さすがの安倍も、その声を無視してまで解散強行はできないであろうから。
 自民党にもあったはずの、国民全体と正直に向き合う真面目さ、誠実さ、国家国民のためにあるべき政治の探求、そして、政治家というより人間としての良心と良識。微かに見え始めたその再生と復活の兆しに期待したい。何はともあれ、まずは安倍政治、これだけは終わりにするために。

右を向いても左を見ても、バカとアホウの絡み合い・・・・・・

鶴田浩二「傷だらけの人生」。言葉は適当でないが、戦後の一部すさんだ世相を映した歌詞が、グローバル化の進んだたった今の世界にもそのまま当てはまるというのだから、何とも不思議で物哀しい気分にさそわれる。トランプ、プーチン習近平、ものの小さな金正恩。そしてもっとものの小さな安倍晋三もこの流れの中にいる。考えるのは、自分の国のこと、そして自分自身のことばかり。それらが互いにいがみ合っている。
 そこへカルロス・ゴーンも加わった。「会社を救う。みんなのために業績をⅤ字回復」コストカット、首切りのカリスマ、カルロス・ゴーンが浮いたお金で私腹を肥やす。耳目を閉じることによってしか心穏やかにこの世を過ごすことはできないのか?
 それでも、「自国ファースト」ならまだ罪は軽い。国、国民のことを考えているのだから。トランプの政策でさえ、自分の人気取りだけではなさそうな何かも含んでいるような気がする。それに引き換え、ようやく週刊誌に言葉が登場したが、わが国の安倍晋三にいたっては「安倍ファースト」、「俺ファースト」1本なのだ。国家国民のことなど全く念頭にない。加えて、それを良しとして盲従する自民党国会議員がワンサカといて、これを守っているというのだから厄介だ。日本国民はまことに危うい。
 この視点で安倍の行動を見ると、複雑そうな日本の国内問題、国際問題もスッキリと読み解ける。まず消費税増税、来年の参議院選挙に衆議院解散でダブル選挙をぶつけられないか、国民世論の動向を見極めようと、閣議でちらりとアドバルーンを上げてみる。世論が厳しいようなら衆議院解散の口実に消費税増税のさらなる延期を使う。野党の現状からは、それが唯一参議院選挙で議席を減らさずに済む方法だろうし、あわよくば、自民党の圧勝もあり得る。安倍の妄想は膨らむだろう。国家財政や国民生活を考えてのことではない。自分の権力維持の手段としての優劣が彼の取る行動の唯一の判断基準だからだ。
 これはしかし、その後の議論の展開、各階各層の素早い増税への準備とその加速状況からすると、案に反して後戻りは難しそうな雲行きだ(しかし、消費税の使い道の変更で衆議院を解散する人のこと、まだ分からないが・・)。
 そこで、今度は北方領土だ。プーチンの誘いに乗って、「まず2島返還に道筋」「私がこの問題を解決する」と記者会見で胸を張った。これもうまくいけば、外交成果として衆議院解散の材料にできる。しかし、そのはしゃぎぶりに、その翌日には「返すことと領土、主権は別問題」とプーチン冷や水をあびせられ、世界に赤っ恥を晒した。これもまた、ダブル選挙へのこだわり、総裁選、沖縄知事選で明らかになった国民の安倍離れへの焦りからの拙速行動とみると分かりやすい。プーチンには扱いやすい相手だろう。
 また、「憲法を押し付けられた」「戦後からの脱却」と言いながら、トランプには常にペコペコ、尻尾を振る。国民として、見ていて恥ずかしいほどだ。口にする言葉もすべてが軽く、彼が政治家として絶対に譲れない何らかの信条を持っている人物とはとても思えない。
  外国人労働者の受け入れ。政権維持に財界の支援は欠かせない。自民党への政治献金も復活してくれた。財界の要望なら黙って聞く。「急いでくれ」にも言いなりで、国会審議もちょちょらに来年4月実施にひた走る。
 この10月株が大きく下がったが、思ったとおり、日銀は8700億円もの札を刷って株を買い、必死に株の値下がりを抑えていた。株主は大喜びだろうが、今や株価の経済のバロメーターとしての機能は失われてしまっている。今月は日銀がいくら株買いの札を刷るのかが株主心理、株価を左右する(証券アナリストにも今の日銀黒田は商売上の虎の子、隠し玉、「日銀が買ってくれるから安心ですよ」などと決して口にしない。ナイショ、ナイショ。広く知られれば国民は黙っていない)。これも名目は景気刺激策ということだが、何のことはない、日銀黒田の安倍政権へのよいしょ仕事、「日経平均株価」が好調アベノミクスの旗印。粗末なカラクリに国民が気づかぬうちは通用する。そしてまた、株主富裕層の支持さえつないでおけば安倍自民党は安泰でもある。それが彼らの目論見。国民は平等に扱うこと、国民みんなの生活はどうなのかなどもともと眼中にはない。
 「憲法改正を自分の手で」「北方領土問題を次世代には残さない」?? やめてくれ!どれもこれも、じっくりと議論を尽くして大方の国民の理解があって初めて終止符を打つことのできる国家、国民にとっての一大事だ。おじいさま、おとうさまの悲願を任期中に自分の手で実現する?? 個人的関心事程度に扱われては堪らない。しかも、彼は、三つ指総理を除けば、自民党歴代総理の中でも、その任に最もふさわしくない人物なのだから。
 私のブログとしては繰り返しになるが、来年の参院選まで決して忘れないでいよう。呼吸するように嘘がつける、「私は森友に100万円渡していません」「私が加計学園獣医学部の新設を知ったのは最後の認可の時」! 部下にも嘘を強いる「私は柳瀬さんを信じます」! 文書の改竄指示、国会提出、国民を欺くことも平気(怒りと絶望の自殺者まで出した文書改竄、麻生の指示に決まっている。麻生の指示なら安倍も当然知っている。安倍に恩を売らずにこれほどやばい橋は渡れない。だから安倍は麻生を切れない)。これほど酷い総理がその椅子に座り続ける! 許されないことだ。来年の参議院選挙が、少しでも今よりましな日本にするための大事な大事な国民の主権行使の第一歩になる。国民一人一人がこの間の彼のあらゆる不祥事を再確認し、その醜悪な国会対応を思い出し、怒りをあたためて、その時に爆発させたいものである。

自民党総裁選 石破へ45% 自民党党員の良識を見た

 安倍晋三の総裁三選が決まった。岸田も野田も早々に屈服し、尾っぽを巻いて安倍にクンクン頭を垂れた。森友加計問題などどこ吹く風、嘘、隠蔽も平っちゃら、文書改竄で国会国民を欺くことも屁の河童、国家国民を忘れ、己の次の政権での処遇、株の儲け位にしか関心のない連中が次々支持を表明して、国民の支持率とはおよそかけ離れた自民党国会議員の圧倒的支持の構図が出来上がり、安倍の圧勝が言われ続けた。政治に公平・公正さを求めることを、「安倍への個人攻撃になる」??と批判したお粗末な議員もいた。しかし、開けてみば、石破茂自民党党員票の45%が入った。

 株に言及したのはほかでもない。私が繰り返し主張してきた、理不尽な日銀株買い政策との関係だ。庶民のなけなしの預貯金の金利はいつまでたってもゼロ、他方で、日銀は札を刷って株を買い、大方が富裕層に属する株主に年6兆円もの金を配り続ける。
 これまで安倍政治を見てきて、自民党国会議員8割もの安倍支持は、党員らの冷静な判断との対比を言うまでもなく、いくら何でも常軌を逸している。そんななか、私がかろうじて、こういうことかと整理できたのが、この日銀の株買いよる株価つり上げ政策である。彼らのほとんどが政治資金を株で運用していて、株高の恩恵に浴しているのに違いないからだ。欧米の中央銀行はやらない、これほど見え見えで低次元のことを実行できるのはおそらく安倍しかいない。安倍を信認すればこの状態が続く。誰がやろうが政治はそうは変わらない。彼でいい。彼らの多くの安倍支持の理由はせいぜいそんなところにあるのではないか、と。いわば安倍の自民党議員の買収にもなるが、そうとでも考えなければ、これほど多くの国会議員が嬉々として安倍に付き従う理由を見つけ出すことは困難だ。
 また、株高の恩恵に小躍りする株主が押し黙るのは無理もないこととして、格差が拡大する一方の今の経済状況にあって株主だけを潤し続ける、許されようはずのないこんなやり方を、国民は一体いつまで許容するのか、冷や飯を食わされ続ける国民がこれほど酷い政策をどうして黙って見ているのか、国民の無反応も私には不思議でならなかった。日銀という看板に惑わされて、実は安倍の番頭黒田のよいしょ仕事でしかないものを、国家経済にとって必要で有意義な政策とでも思いこんでしまっているのか、国会での追及も弱く国民の声も盛り上がってこない。その理由を私は理解できないでいた。とりわけ、自民党支持者層にその容認傾向が顕著なのではないか、とも思っていた。
 しかし、私の認識不足であった。自民党支持者の中にもしっかり政治に目をこらし、正しい判断のもと安倍を良しとしない人たちがこんなにも沢山いる。落ちるところまで落ちた自民党国会議員はともかく、自民党党員、国民は大丈夫だ。
 
 私の場合、どちらが政治家として優れているのかは分からない。石破は思想的には安倍よりさらに右寄りで私の考えとは遠い存在かもしれない。しかし、国民に平気で嘘をつくだけでなく、部下にも嘘を強いて何の痛痒も感じない(国会答弁で「私は柳瀬さんの言うことを信じます」、「嘘をつき通してくれ」という柳瀬へのメッセージだ)、人間としての基本的道徳、倫理観を欠く人物に政治を任せるわけにはいかない。そのことだけはハッキリしていた。今回の石破への自民党員票もすべてが石破支持ということではなく、私と同じく「安倍だけはダメ」という意思表示がかなりの比重を占めていると考えていいのだろう。そこに、私は、日本の未来への救い、一筋の光明を見出すことができる。

 それにつけても、自民党国会議員たちの劣化には暗澹たる思いが増幅するのだが、それでも、今回の党員票を目の当たりにして、彼らが、自分たちの感覚と支持者たちのそれとの大きなズレを認識した可能性もなくはない。安倍政治礼賛、「安倍べったり」では次の選挙で自分の身が危うくなる。そう考えることがあるなら、自分の身が何より大事な彼らのこと、安倍との距離を考え始める者が出てくることもあり得る。そうなれば安倍一強体制に揺らぎも生ずる。
 また、この自民党党員票で、他にも期待できることがいくつかありそうだ。一つは、安倍の憲法改正のごり押しが難しくなるのではないかということ。上述の国会議員の震えがあり得ることに加えて、これほどの安倍の不人気では、国会を無理やり通しても国民投票で国民の手痛いしっぺ返しを食らう恐れが高いからだ。もっとも、責任感なし反省もなし、何にもめげない安倍のこと、これも分からないと言っておく方が無難かもしれないが・・・。
 もう一つは、これも「普通の人なら」の前置きが彼の場合は必要だが、これまでのような力任せの政権運営が少しは影を潜めるのではないかという期待だ。「安倍首相を信用できない」、これまで常に世論調査の最多を占めていた内閣不支持理由が、反自民の人たちだけではなく、自民党支持者の中にも確実に根を下ろして広がっていることが、明確な数字で示されることになったからだ。権力者安倍陣営からの様々な圧力、締め付けがあったにも拘わらず、である。森友加計問題での安倍の振る舞いは、自民党員の心にも深い傷を残し、彼への不信感が澱のように溜まり続けている。勝ったこの選挙で、一番居心地の悪さを感じているのは、この事実を突きつけられた安倍本人ではないのか。党員からの不信感をも招いてしまった森友加計学園問題で、自分のやったこと、国会と国民にどんな嘘をついてきたのか、隅から隅までその真相を最もよく知っているのが彼だからだ。真実を話して国民、党員に詫びてその責任を明らかにする以外に信頼を回復する手立てはないが、今さらそんなことはできない。彼は、野党支持者だけでなく、自民党を支持する多くの人たちからの冷たい視線にも曝されて、負い目を感じながらこのまま進むしかないのだ。 
 しかし、その道もまた険しくいかにも危ういものだ。真相のいくつかを知る者は他にも大勢いる。彼らが、これまで通り自己保身や出世欲で口をつぐみ続けてくれることが、彼の命綱である。誰か一人でも、その身に課せられた「国民全体の奉仕者」たるべき責任の重みを思い起こし、正義と公正に身を委ねる覚悟を決めれば、その瞬間に事実は露見し、総理大臣の嘘、隠蔽、悪事のすべてが白日のもとに曝される。彼は政界を追われるだけでなく、史上最低最悪の総理大臣として歴史に名を刻むことになるのである。彼の取り巻きたちが、真実にも正義にも背を向けて、自己保身や忖度とかで彼に服従し続けてくれることが唯一の頼みとは、あまりに危ういことではないか。彼の恐怖は計り知れない。
 選挙前の朝日新聞社説「自民党総裁選 国民は視野にないのか」に次の指摘があった。安倍の選挙戦が前回とは様変わりしている。政権構想は示されず、記者会見も開かれない。候補者の政策討論にも応じない。街頭演説予定も前回の三分の一。新聞、通信各社に自民党選管から「公平・公正」な報道を求める文書が配られる。ある支持派閥は所属議員に安倍への忠誠を誓わせる「誓約書」の提出を強いる。振り返ってみれば、圧勝見込みの楽観ではなく、国民の目から必死に逃げようとしていたとしか見えない彼の行動に、その恐怖は既に現れていたようにも思われる。
 そんな彼が、選挙前と同様に、国民の存在など意に介さない強権的な手法を押し通していけるのかどうか。

 一つ付言する。公務員の公正な職務の遂行を担保するために定められた「国家公務員倫理規程」の条文をしっかり読んでみて、初めて気づいたことがあった。公務員が利害関係者(許認可では、担当者と申請者)と行ってはならないとされる禁止行為の一つに、「遊戯とゴルフ」が挙げられている。ここまで具体的に指定されていることを私は知らなかった。同じ国家公務員、国民全体の奉仕者である。「倫理規定は特別職公務員(大臣など)には適用されない」では、とても国民の納得は得られまい。安倍は、加計理事長と何回となく、飲食、ゴルフを繰り返していた。安倍が「私は、最終認可の時まで、加計学園獣医学部申請のことは知りませんでした」と、国民が誰一人として信じない、真っ赤な嘘をついた理由は、この公務員倫理規程にあったのだ。 
 

体操協会のパワハラ、行きつく先は安倍晋三

   先日の朝日川柳に「正直と公正さがニュースとは」とあった。これにまったく同感の者として無断引用させていただく。実に嘆かわしい世相である。政治家、政治組織に限らず、社会のあらゆる分野の名だたる組織で腐敗しきったその実像が次々と国民の前に明らかになっている。レスリング、日大、ボクシング、今度は体操協会だ。ここでは「パワハラ」の有無がことさら強調されているが、問題はそこではあるまい。その温床とも言うべき組織体制の在り方がこの問題の全てだ。一私的体操クラブに関わる者が協会の枢要部にいてナショナルチームを率い日本代表の選考にもかかわる地位にいる。好成績の選手の輩出は同クラブの経営上の利害にも直接かかわる。この利害の錯綜だけで、協会側はアウトである。こんな体制を良しとしてきた体操協会とは一体どのような組織体なのか。今回の対応を見ても、パワハラ調査の第三者委員会を立ち上げるとは言うものの、肝心の体制は現状維持だという。的外れもいいところ、世間常識から乖離した人々の集まりのようだ。
 後から検証して実質的な不正や不公平な扱いがなかったならそれでいいという問題ではない。公正、公平が守られるべきことは当然として、その前に、まず、そのことを保証、担保するための制度、体制、手続きがきちんと整備されていなければいけない。そうした体制のもとでの判断、選択、行動であって初めて、「公正・公平」なのだろうとの社会的納得の暫定資格が与えられるのである。今回の騒動、関係者の判断、行動の是非を問う前に、協会側にはそもそもその前提資格がない。不公正や不正が起きて当たり前のようなその組織体制を改めることが何より先にやるべき仕事だろう。「第三者機関」を必要とすることの意味が分かっているのかどうかすら疑わしい。それも副会長が築きあげてきた強大な権力の故なのか?
 「公平・公正」は人間社会において極めて重要な価値基準の一つである。さればこそ、社会のあらゆる分野で、「公平・公正」を担保するための制度がつくられ、法律、規則その他の社会規範が設けられている。たとえば民事訴訟法における裁判官の忌避、除斥制度。裁判官は当事者のいずれかとかつて一定の範囲の姻族関係にあったというだけで、裁判の担当からはずされる。弁護士も、相手方からの協議を受けていてそれが一定の信頼関係にあったと認められる場合には、相談者からの事件を受けてはならない。その人物なら間違いなく適正公平な事務処理が行われるとしても、だ。国家公務員倫理規程にも、次の定めがある。「国家公務員は・・一部の奉仕者ではないことを自覚し、・・国民の一部に対してのみ有利な取り扱いをする等、国民に対し差別的な扱いをしてはならず、常に公正な執行に当たらなければならない」。そして、公務員にとっての利害関係者を「(許認可業務に携わる公務員には)許認可の申請をしている事業者」等と定義し、倫理上の禁止項目として「職員は、利害関係者とともに遊戯またはゴルフをしてはならない」などと具体的な行為まで記載している。これらは、全て、公正公平な事務処理の確保、社会的不正義と不公正を排除するために設けられた制度的な担保措置である。体操協会の今の指導体制(利害関係者の枢要部での関わり)も、「公正・公平」の観点からは、制度的欠陥と言ってもいいものだ。
 ここまでお読みいただいて、そうはなっていないではないかと気づかれた方もおられるはず。あの「男たちの悪だくみ」の乾杯写真、安倍晋三と加計理事長の楽しそうなゴルフプレー、あれは何なのだ、と。然り、ご存知なかった方はここで覚えていただきたい。国家公務員倫理規程が適用されるのは、「一般職」公務員だけで、総理大臣、国務大臣などの「特別職」国家公務員は適用除外とされているのだ。利害関係者との頻繁な会食、ゴルフもお構いなし。だから「何が悪い?」と居直れる。理由はグダグダ述べられているが、憲法上「国民全体の奉仕者」と規定され、強大な政治力を持ち、国民に対する正直で公平公正な政治の執行には一般職公務員よりもはるかに重い責任を負っているはずの「特別職」に対し、なぜ規律が逆に弱められるのか、私には理解ができない。
  もちろん、こうした規則は、権力者たちが自分の都合のいいように作るものだが、心ある政治家なら、この規律が自分にそのまま当てはまるくらいのことは分かってよさそうなものだ。その「公正・公平」らしささえ装う必要がないと、国民を馬鹿にしきっているのが、安倍晋三であり安倍政権ということになる。
 ことほど左様に、制度体制規則を整えればそれで「公正・公平」が保証されるということではないけれど、そこに腐心しているかどうかを見ることは、「正義・公正」という人間的社会的価値に向き合う姿勢、その人物、社会組織の善し悪しを判断する一つの尺度には十分なり得る。

安倍晋三に思う 「悪貨は良貨を駆逐する」

「悪貨は良貨を駆逐する」イギリス王室財政顧問グレシャムの言葉である。額面価値の等しい貨幣に実質価値の相違(たとえば金の含有量)があると、国民は実質価値の高い良貨は金庫にしまいこみ、結果、実質価値の低い悪貨が市場にあふれてしまうという見解で、金本位制時代の経済法則の一つとされた。この言葉は、本来の意味を離れて、世の中に悪人がはびこり治安が悪化した状態や、軽佻浮薄な文化や人物が世間でもてはやされる状況を表す場合によく引用されてきた。
 今、日大田中理事長に続き、日本アマチュアボクシング連盟山根会長の振る舞いが世間を騒がせている。そのキャラクターもさることながら、驚かされるのは、人間的にはお粗末極まりなしにしか見えない彼らが、巨大組織の中で、これに無条件に忠誠を誓う家来たち、いわゆる「取り巻き」を育て上げ、盤石とも言える帝国を築き上げていることだ。新聞は「ボクシング連盟の不祥事の数々は、権力の一極集中とこれにおもねる組織の腐敗が招いた」と報じた。
 この記事を目にして顔をしかめた人物が少なくとも二人いるはずだ。日大田中理事長と安倍晋三首相である。この総括は、この2年間国民が嫌というほど見せつけられた政治の中枢の光景そのもの、それと全く同じだからだ。安倍に集められた政治家、役人たちは、一人の例外もなく、国民に仕える身であることを忘れ、道徳倫理も捨て去って、自分を犠牲にしてまで安倍を守ろうとした。公僕というよりまさに安倍の私兵、親衛隊である。日大、ボクシング連盟の理事会と同じだ。自民党国会議員もしかりである。国民の支持率とはおよそかけ離れた圧倒的多数の議員が安倍の総裁三選を支持している。安倍政治で一向に構わない、政治に道徳倫理など無用、嘘も方便とする議員であふれかえっているのである。
 なぜ、こうなってしまうのか。一つは、田中、山根に見る「悪さ」の「桁外れ」だ。報道にみる権力欲とその拡大手法は空恐ろしくさえある。分野によって許容される「悪さ」の質や程度はおのずと異なる。「嘘をつく」「まずいことは隠せ」「力の支配」「ばれれば責任は部下、自分は逃げる」。一般には少し質が悪い程度のことにも見えるが、これが国民が生活の全てを委ねる政治世界の話となると、その資質の「悪さ」は、これで十分に立派な「桁外れ」だ。こんな総理、見たことも聞いたこともない。あまりの「規格外」が登場し我が物顔で闊歩していると、良識ある人々はみな引いてしまい、悪貨に道を譲ってしまうということだろうか。制止する者のない悪貨はやりたい放題だ。
 もう一つは人間の弱さ。みんな自分が可愛い。下手に正義を振りかざし、「悪」の糾弾に決起したところで、出世の道は閉ざされ、家族や周りの者にも累が及びかねない。損をするだけ。黙っているに限る。そして、もう一種類、より積極的に、権力に揉み手ですり寄り、何がしかの利益にあずかろうとする者があらわれてくる。三人の「取り巻き」に共通するのは後者だろう。これが質が悪い。人間誰にもあり得ることなのかもしれないが、「桁違いの悪」に触発されて、これでも大丈夫なのだ、赤信号みんなで渡れば怖くない、抑えられていたはずの醜き欲望が解き放たれる。そして、悪貨は増殖していく。
 この事態、何とかしなければならない。「今の政治状況で何ができる?」と聞いてはいけない。できることは何でもしなければならない。政治の劣化が回復不能状態に達するまでに時間はそう残されていないのかもしれないから。家庭で、職場で、安倍政治を話題にすることから始めよう。そして、あらゆる機会をとらえて「安倍晋三のような政治家は認められない」このことを社会に発信し続けよう。中立を装い、安倍擁護の意見をも平気で流すマスメディアに抗議することもあってよい。親衛隊、自民党派閥の喝采に囲まれた安倍首相は「裸の王様」、政治家失格とみる大方の国民の良識、その声が彼には届いていない、そうとしか思えない。届いていれば、あの意気揚々のすまし顔でいられるわけがない。そこにあるのは、「事実は隠す、嘘も平気」「国会、国民を欺す」「ばれれば責任は部下、自分は逃げる」「部下の犠牲も気にならず」「政治の私物化」「公務員の私兵化」、普通の政治家なら恥ずかしくて身の置き場に困るほどの前代未聞の悪評だからだ。
 「ほかに適当な人がいない」? 政策評価、人物評価? 相対比較をする前に忘れてならないものがある。「基本的道徳、倫理観を欠く政治家、それだけはダメだ」この絶対基準である。このままでは、「悪貨」が「良貨」をことごとく駆逐してしまう。