富裕層のみの優遇、格差拡大策「日銀株買い」を許すな!

 久しぶりのブログになる。ずいぶん辛抱して長らく安倍政権の体たらくを見続けてきたが、我慢もこの辺が限界のようだ。あの顔を見るだけで具合が悪くなる。

 

 今日のテーマは前にも書いた「日銀株買い」だ。

 サンデーモーニング寺島実郎氏が具体的な数字を挙げて、今の株式市場を「金融バブル」と批判した。昨年の日経平均の平均は約1万9000円ちょっと、しかし、コロナで最悪の経済状態のもと(赤字に転落した上場企業も多い)、現在の日経平均は2万2000円、明らかに異常である、と。

 理由は明白で、唯一つ、日銀株買いの拡大である。日銀黒田は、コロナ禍に乗じて金融対策と銘打って、株購入額をこれまでの二倍(月1兆円年12兆円)に拡大した。昨今話題のコロナ対策予算、数十億、数百億、数千億と比べてみれば、その額の巨大さ、異常さがよく分かる。折しも昨年来の株価下落で年金基金の株買い損失も膨らんでいた。これでは安倍晋三に唯一残された「経済の安倍」までそっくり吹き飛んで、安倍政治が終わる。株価だけでも何とかしなければ・・・。 

 株価が下がれば、バブルの崩壊、株価のさらなる暴落、日銀株買いの終了、大量の株損失を抱えた日銀の赤字転落、安倍だけでなく日銀黒田も辞任の憂き目、黒田は日本経済破綻の安倍の共犯者として歴史に悪名を刻むことになる。

 黒田にとって、コロナ禍はまさに「渡りに船」、ここぞとばかりに、一気に日銀の株買い入れ額を倍増させた。年金の損失も回復され、安倍、黒田の寿命も延びる。

 この日銀黒田に先導されて、株主たちは、経済動向お構いなし、株だけはまだまだ大丈夫と株買いに戻った、それが現在の株価である。

 

 見せかけだけの株高が何の経済対策になるのか!まさに砂上の楼閣。それが国民にバレた途端にパンクする。かつて永遠に価値が下がることはないと信じられた不動産神話、バブルも無節操無秩序な不動産市場への住専金融機関の資金供給の結果であることが国民にバレたところではじけた。それと同じに、経済状態とは無縁、唯一の頼りは日銀黒田の札刷り株買いという今の株高の正体が国民にバレたところで株価も間違いなくはじける。その結果、多大な損失を被る者が出るはずだが、承知でバブルに溺れた人は仕方のないこと。ただ、高株価のカラクリを知らず黒田相場に誘いこまれた人には、この記事を警告に早めに危険な官製賭場から撤退することをお勧めしたい。

 

 もっとも、これまで私が日銀株買いを批判してきたのは、経済実態とかけ離れた中身空っぽの株価操作のことではない。これが実質、安倍支持株保有富裕層に対する安倍の買収策としてずっと利用されていることだ。問題は表向きアベノミクス好調を演出する見せかけ株高だけのようでもあったが、その本当の狙いは最初からここにあったと私は思っている。

 

 世界で中央銀行に株買いまでさせるのは安倍晋三だけ。結果、株主は潤い、安倍がどんな失態をやらかそうが、株保有者はみんな安倍内閣支持となる。大きな声では言えない良識派も、「安倍がダメでも、安倍の他に適当な総理候補はいないじゃないか」と消極的支持を装うところまでが精一杯。現金を配って株資産を守ってくれるのだからいなくなっては困るのだ。モリカケ桜を見る会、黒川検事長問題、イラン、プーチンでは世界に恥をさらし、拉致被害の横田さんは何の進展のないままこの世を去った、それでも安倍内閣支持率35%、その理由はもはやこの日銀株買い以外にないように私には思われる。

 ネット上には安倍政権批判が飛び交っているが、その人達の中に日銀株買いを批判する人が何故か少ないことが最近の私の気がかりでもある。元気のいい彼らも実は隠れ株保有者なのではないのかの疑問。安倍は嫌いだが、日銀株買いは続いてほしい?

 

 その狙いから当然のことだが、日銀は買うだけで、売ることがない。だから、株価は上がる一方だし、下げ局面でも日銀の株買いで下げはそこで止まる。こんな買い一辺倒、金を配るだけの投資家は世界にいない。外国人投資家も日本の株式市場から離れないわけだ。受益者は株保有者だけでない。証券業界にも、日銀の株買いシステム(ETF)だけでも膨大な手数料が転がり込む。証券業界にとっても願ってもない好顧客ということになる。絶対に手離せない。株取引とは無縁な国民が知れば間違いなく怒る。国民には知られないようこの儲けの泉は隠し守らなければならない。証券関係者、エコノミストの論文、コメントなどは全て、「日銀株買いが株式市場を歪めていることはない」「日経平均の日銀株買いETFが個別銘柄の株価を左右することはない」と、都合のいいデータを選りすぐって、株関係富裕層だけの優遇策の秘匿に腐心している。

 こうして、日銀の保有株式は膨大に積み上がっていく。日銀が筆頭株主になる企業がどんどん増えている。株価が暴落すれば日銀赤字、倒産の危機というのは、日銀が買った時の価格より株価が下落すれば資産の減少で債務超過ということになるからである。

 

 私には、公金(国民が付与した紙幣製造権限に基づき日銀が刷った国民のお金)の株主だけへの偏頗なバラマキ、不公平で格差拡大しかもたらさない富裕層優遇、安倍支持層買収策としか評価できない政策であり、SNSなどでその批判を展開し続けてきたのだが、反応があまりない。ETFという巧妙で分かりにくい仕組みを作り上げたことが成功していて、国民がこの政策の酷さにまだ気づいていないということであるなら、もう一度その詳細を説明しておいて無駄ではないのかもしれない。

 

 その仕組みは次のとおりである。日銀が日経平均連動型証券ETFの注文を出すと、証券会社は日経平均225銘柄の全部に、日銀の注文額を日経平均の算出と同じ単純平均で割り振って、市場で実際の株式を購入する。1000億円の注文なら全額が日経225銘柄すべての購入に充てられる。株単価の高いファーストリテイリングの購入額が最大となるのはその仕組みから当然である。まさにETF購入の日銀資金がそっくり全銘柄の株価を吊り上げるか下げ止めるかしているのである。日銀ETF買いはストレートに個別銘柄の株価を変動させる。そして個別株取引で売り株主の手に日銀資金が渡る。日銀が株買いに注ぎ込んだ金額は既に30兆円を超えており、長い年数の間にこの買いだけで確実に日経平均を吊り上げている。2割とも3割とも言われる。

 証券会社が日銀資金で買った株式は、資産保護、安全のため、証券会社とは別の信託会社に日銀の株式として預けられ保管される。

 証券会社はこの購入した日経平均225銘柄の株式から自分たちの手数料などを組み込んでETFを構成し、これを日銀に交付する。このETFはそれ自体が市場に出されて個別銘柄同様取引の対象とされる。

 日銀が直接株を買うのではなく、ETFの形にし、ETF日経平均株価や個別銘柄の株価との関係など国民に分かりにくい仕組みにしているが、これは、単純に、日銀が国民に付与された日本銀行券発行権限に基づいて札を刷って株を買い、その札を直接、国民の一部株保有者だけに配る、ただそれだけの仕事なのである。経済政策、金融政策などと御託を並べて煙に巻こうとしているが、実態は株保有富裕層の株資産保護だけに寄与する安倍内閣支持層つなぎ止め策でしかないのである。

 

 国民がみなこの事実に気づきさえすれば、安倍、日銀黒田のこれほどの悪行を決して許さないし、このまま放置することはないはずだ。早く気づいて国民の声で一刻も早くこんな愚策は終わりにさせてほしいものである。それがそのまま安倍政治の終焉をも意味するからだ。

 

安倍内閣支持率のこの高さ! 国民はどうなってしまったのか?


 「この国民にしてこの総理あり」決して口にしたくなかった言葉だ。

 私はかつて「国民がこれほど酷い安倍政治をいつまでも許すはずがない」「国民を信じたい」「国民に対する信頼を失ったら、政治を語る資格を失う」「政治は国民の暮らしのためにあるのだから」とブログに書いた。しかし、この内閣支持率を見て今その信頼を失いかけている。もちろん、国民の全てではない。ここまでその低劣さ酷さを見せつけられてなお「安倍で良い」とする安倍内閣支持者に対してである。森友加計とうち続くデタラメ政治にとどめを刺したかにも見える「桜を見る会」を目の当たりにしながら、なお半数近い国民が安倍内閣を支持するという。私には思いもよらぬ数字がここにある。

 一体どう考えたらいいのか。しばし整理に戸惑う。私は前に、安倍首相の嘘と隠蔽、ごまかしと逃げの政治の常態化で、国民の倫理道徳感まで麻痺させられて、この国自体が駄目になってしまうのではないかと心配したが、とうとうそうなってしまったということなのか? そうであれば、それは安倍晋三の国民を「愚弄」した政治戦略の勝利とその結果としての国民道徳の劣化を肯定せざるを得ないことになってしまうのだが・・・。「愚弄」とは、国民はどうせこの程度のもの、こうしておけば自分に靡く、そうした安倍政治のことである。

 その端的な例の一つは、これまでも繰り返し指摘してきた日銀(黒田)の株買いである。ただそのためだけに日銀は年に6兆円(国家予算の6%)もの札を刷り株を買う。それが既に27兆円にもなった。買う一方だから株価を上げ、下げを止める方向にだけ働く。株主は儲かり、下がっても日銀が買い支えてくれるから損は少なくて済む。株式市場証券会社には莫大な手数料が入り続ける。安倍以外にこんなことを出来る人間はいない。世界の中央銀行でこれほど見え見えで一部の者(株主だけ。一般には富裕層だ)の利益に偏した政策をとる国はない。これを黒田は、株価を維持することで国民の景気心理の冷え込みを防ぐためと平然と国会で答弁し続けている。野党も何故か追求しようとしない。株とは無縁な国民のほとんども、政府から独立した国家機関日銀のする仕事ということに惑わされて、真っ当な経済政策と信じ込んでしまっている。これを政府がやれば誰もが直ぐに気づく。国家予算から6兆円を株買いに充てる? 誰も許さない。国債を6兆円発行してそれをそっくり株買いに充てる? 国債の発行は、銀行などから国民の預貯金を借りることだ。経済政策の名のもとに、国民の預貯金を借り上げてそれをそっくり株主だけに配るに等しい。これも誰も許さない。さすがに安倍というべきか。日銀にやらせる。実に巧妙な国民買収策を考え出したものだ。


 ただ、これには本来もう少し説明がなければならない。ただ札を刷ってばら撒くこのやり方を「ヘリコプターマネー」という(ヘリコプターで札を空からばらまくという意味)。消費の活性化、経済を良くするためのばら撒きなら、6兆円を国民みんなにばらまけばいいではないか? 当然の疑問だが、善良な国民はそんなことは恥ずかしくて口にはしない。それに乗じて、安倍も黒田も「6兆円を国民全部に配っても一人当たりは微々たるものになり経済効果を期待できない。それで株主にだけお金を配ることにしているのです」という説明を、これまでせずに済んできている。株式市場だけへの札のバラマキ、これによって、何があろうが安倍でよい、安倍に続けてほしい、強固な安倍支持の一部国民集団をつくることに安倍は成功した。

 もう一つある。国債を銀行等保有機関からどんどん買って市場に金を流す、経済活性化が名目の日銀の異次元金融緩和策。アベノミクスとやらの柱である。しかし、既発国債の半分にも達しようとという国債買取の実態をみると、国債代金は日銀の当座預金(銀行が、銀行の銀行=日銀に国債売却代金をプールしておく口座)にたまり続けて市場の融資には回らず、経済は決して良くなってはいない。また、円安で(市場に回る国債代金=円が増えればドルなど外貨との相関関係で円の価値が下がる=円安になる)自動車など輸出産業が潤う、その利益がいずれ他の業界にも滴り落ちて経済全体が良くなるとも言ったが、それも嘘。そうはなっていない。業界の一部を潤しているだけ。富の所在は偏り、富める者はさらに富み、貧しい者はどんどん追い詰められていく。格差は拡大する一方だ。

 その結末がつい先日の朝のNHKニュースにあった。「7年前より国民の収入は平均して年約50万円増えた」しかし「増えたのは国民の20%で、80%の人はむしろ減っている」と。国民全体の平均だから、20%の人たちの増え方は50万円どころではない。富裕層では驚くほど高収入の者が登場しているのに違いない。簡単な話、日経平均株を1億円持っていて株価が1割(今なら2000円)上がれば、何もせずに1000万円が転がり込んでくる勘定になる。これが、アベノミクスがもたらした国民経済の帰結なのだ。

 このようにして、安倍の正体がすっかり明らかになっていながら、一方で、この安倍政治の経済的恩恵に浴する少なからぬ人達が着実に一定層形作られてきている。そして、その人たちが、安倍の人物、人格おかまいなしに、「安倍に続けてほしい」と願うようになっているのである。支持の理由が「他より良さそう」? 嘘に隠蔽、文書改竄、道徳倫理感は皆無、責任破壊、部下の非人間的扱い、どこから見ても良いところなどない最低最悪の安倍と、どんな政治をするかもまだ分からぬ(普通考えて安倍より悪くなろうはずのない)他の政治家とを比較して、平気で、安倍の方が「他よりよさそう」と言う、その理由の根本にあるものは、このこと以外私には考えようがない。
 安倍は知っている。或いは学習した。国民の広い支持など必要ない。今の小選挙区制のもと、一部の強固な支持層を養っておけば、それで自民党は選挙に勝ち、誰も口出しできず、長期政権をどこまでも維持することができる。

 確かに、誰しも金には弱い。私も例外ではない。そして、自ら手を下すまではしないにしても、人がやる政治の結果として、自分の今がいいなら、他人はどうあれ国の将来がどうあれ、その状態が続いてほしいと思うのだろう。格差の拡大も、地方経済の疲弊も、日々の暮らしに困る人たちが増えることも、それは自己責任で片づけたくもなるのだろう。残念ながら、今この時においてなお安倍内閣支持を公言できる人はそういう人たちなのだと考えざるを得ない。20%の収入が増えた人たちにはその恩恵にあずかる家族がいるし、ここに、それ以外のことはどうであれ、政治思想的に(憲法改正天皇制の復活、軍備増強)何が何でも安倍でなければならない日本会議神社庁などの人たちも加わる。それらを合わせて、50%に近い安倍内閣支持率が叩き出される。

 情けなく悲しくもある。みんな本当にこれでいいと思っているのかな? 国民みんなの暮らし、国の将来、政治の在り様など真剣に考える方が馬鹿なのか。安倍に敗北宣言してもう諦めるべきなのか、それとも、そうした国民も、ただ一時安倍の策略に絡めとられて我を失っているに過ぎず、早晩必ずその間違いに気づく、なおも信ずべき人たちなのか。後者であってほしいのだが・・・。

 

桜に見た 安倍晋三の大罪!

 またまた安倍だ。大臣二人の相次ぐ失脚、萩生田の「身の丈」発言など可愛いものに見えてくる。税金で自分の後援会員をもてなして平気、膨らむ経費に合わせて予算の増額すら目論んでいた。それがばれると一転して中止、「私が中止を決断した」と自分の手柄のように胸を張る。嘘、隠蔽もおてのもの。ばれなければいい。かん口令をしいてどこまでも逃げようとする。今回はさすがに逃げ切れるかどうか微妙な状況ではあるが、森友、加計で見飽きた、相も変らぬ姿がそこにある。どこまでこの男は人間の出来が粗末なのか? これほど品性下劣な人物が、国政を預かり国家を語っている。そして、国、国民のためでなく、私利私欲で周りに群がる連中が必死にこれを支えている。

 今回、私がブログ作成に向かったのは、安倍の人間としての幼稚さ、人格の低劣さを改めて見せつけられたからではない。これについては過去のブログで既に語りつくしている。そうではなく、野党合同ヒアリングでの質問に、苦渋に顔をしかめ「わからないのです」とただただ繰り返すだけの、内閣府職員の尾羽打ち枯らした憔悴しきった姿、表情に、安倍支配の弊害がついにこのレベルにまで達していることに愕然としたからだ。これを見て湧いてくるのは、佐川局長に感じた怒り(公僕たる使命を忘れたか!)ではなく、哀れみ「可哀想に!」だった。上司の命令、自分の仕事、家族の生活を守るためとはいえ、何故ここまで卑屈な姿を国民の前に曝さなければならないのか!

 内閣府といえば、これまで数限りない安倍内閣の不祥事の隠蔽工作、逃げ切り工作を取り仕切ってきた官邸官僚たちが闊歩する安倍内閣大本営だ。だが、そんな政治屋たちは別として、職員は普通の国家公務員、そのほとんどは、国民に仕える志のもと公務員となり、「国民の為の職務」の気概と誇りをもって仕事にいそしんできたに違いない人たちだ。その人たちの見るに堪えない哀れとしか言いようのない姿がそこにある。答弁に窮する担当者の顔は硬直し言葉が淀む。その左右に座る職員らも皆俯いて顔を上げることすらできない。みんなその答弁が「嘘」と知っているからだ。そして、そう答弁するしかない者の苦衷と悲哀がよく分かるからだ。こんな仕事ではなかったはずなのに、と。

 森友で大阪財務局の職員が一人自ら命を絶ったことを思い出す。出世のためならエンャコラ、嘘、隠蔽に平気で加担できる佐川局長、こんな男はどうでもいい。どうせ国民のための仕事など期待できない。
 しかし、心配なのは、国の仕事、国民に仕える気概をもって公務員を目指し、難しい公務員試験を突破して、日々真面目に真剣に仕事に向き合ってきた大多数の公務員のことだ。内閣府職員は、どんな思いであの席に座りあの答弁(「書類は廃棄しました」「分類番号のことは分かりません」)をさせられているのか?「何でこんなことをさせられなければならないのか」「こんなことのために公務員になったのではない」という無念の思いと、しかしまた、家族の為生活の為にそれを拒否することのできない自分の無力さにうちひしがれている姿がそこにある。自死を選ばざるを得なかった財務局職員の無念さ悔しさを彼らも痛感したに違いない。

 安倍晋三とその取り巻きたちの強権支配で、国民のために働くべき国家公務員がみな持っていたはずの崇高な志と誇りを奪われて死にかけている。その深刻な危機が今ここにある。個々の政策の間違い、失敗などはこれに比べれば小さなことかも知れない。このままでは国が壊れてしまう。安倍晋三の大罪ここに極まれり!

 経済の安倍、外交の安倍などともてはやしている場合ではない。
既に発行済み国債の半分にも達しようという日銀の「国債買い入れ異次元金融緩和」、株高を演出するため札を刷って株主(だけ)に配る「日銀(黒田)の年間6兆円(国家予算の6%)もの株買い」も累計で26兆円に達した。どちらも今を良く見せられればいいだけの見掛け倒しの政策で、安倍の総裁任期満了退陣の後には、収拾不能の経済的混乱が起きてその失政が明らかになるではあろう。そして、先日NHK朝のニュースにあった経済格差の深刻な実態に国民もいずれ気づくではあろう(7年前より国民の平均収入は年約50万円増えているが、増えたのは20%の人たちで、80%の人たちはむしろ減っている。50万円は全体の平均だから、増えた人の増え分は相当な額となる。良くなったのは20%、国民全体にとって経済はむしろ悪くなっている)。しかし、その時を待つ時間的余裕はもうないようだ。

 国の土台が腐ってきている。時に佐川局長のように自ら進んで国民を欺く者もいるが、ほとんどの公務員は、その職務を誇りとし真面目に一生懸命日々国民のための仕事をしている人たちなのだ。その彼らが安倍晋三や取り巻きに脅されて、国民に対して口が裂けても言いたくない「嘘」を言わされ、黙秘を強いられている。国民に奉仕すべき公務員が、安倍晋三らの人間までの私物化で、その仕事に意欲も誇りも持てないような状態に追い込まれている。問題は心構え、仕事への士気、人のモチベーションの根幹にかかわることである。国家の危機と言わずして何と言おう。国の大事な土台が回復不能な損傷を受けたら、その上に構造物を再建するのは容易なことではない。時に良し悪しはあるが、国の骨格を形成維持しているのは、安倍晋三やその取り巻き連中ではなく、私心を入れず国、国民のことを第一に考えて仕事をする彼らなのだから。

一刻も早く安倍政治を終わりにしなければならない。国民がここで目を覚まさなければ本当に手遅れになってしまう
内閣府職員のあの姿を見てこうした危機感を持つのは、私一人ではないはずだ。

ひるおび八代英輝弁護士は朝日新聞「反日」の意味を国民に説明せよ!

 昨日の「ひるおび」の「八代英輝弁護士」の発言、「朝日新聞反日三羽ガラスのひとつ」。ネトウヨ達が「よくぞ言った」の大絶賛。他方、私も大絶賛だ。「とうとう言ってくれたか」。これで国民は、安倍晋三太鼓持ち、政権がマスコミに送り込んだ安倍晋三隠密報道官、八代英輝の正体に気づく。彼は実にうまく立ち回ってきた。自民党筋の依頼の講演料が頼りの政治評論家などは、国民がその目で見るからその弊害も大したことはない。しかし、八代英輝は法律家しかも元裁判官、国際弁護士を名乗って登場する(弁護士の中でも優秀そうだ)。第三者、法律家として客観的なコメントをするものと、見る側が勝手に思い込んでしまう。昼食時の2時間の影響力はあまりに大きい。

 私がグログを始めたのも、加計問題に関する彼の発言を聞いたのがキッカケだった。昨年4月に書いたブログから一部引用する。
 「この間ずっと気になっている。TV番組での政治問題をめぐるコメンテーターの発言。官房機密費の使い道に政治評論家などへの援助があるというかつての報道を改めて思い起こさせるような露骨な「政権よいしょ発言」が目につく。何が起きようが安倍首相との心中を決めているとしか思えない政治評論家の発言には慣れ切ってもはや気にもならないのだが、中立的で法律に詳しそうな立場を利用して、国民を誤った理解へ導こうとする者がいることには同じ職業にあった者として我慢がならない。
 昨日のTV番組でも、愛媛県で作成が確認された「首相案件」文書に関して、某弁護士が平然と次のように述べていた。「これは署名もない伝聞証拠ですから、証拠にはならない」。弁護士の発言なのだからその罪は大きい。現に「見事に切って捨てた」との評価もネット上にある。法的にも明らかな間違いであり酷すぎる。
 一つ、伝聞証拠は刑事裁判では原則として証拠能力が否定されていることはそのとおりだが、それは、刑事裁判での証拠は、刑事罰という重大な結果を国民にもたらすものだからそうした制限が設けられているのだ。また聞きで、反対尋問もできない証拠で有罪にされてはたまらないからだ。民事裁判での証拠のルールとは違う。この重要な事実を敢えて言わない。これでは、民事裁判でもこの文書は証拠とならないものと視聴者は考えてしまうだろう。違う。民事裁判では、どのような書面もその成立の真正(誰が作成したのか)が証明されさえすれば、立派な証拠になる。今回の文書は県知事が会議の場にいた県の職員が作成したと明言しているのだから、成立の真正に何の問題もない。立派に証拠として採用される。後はその中身、書かれていることが真実かどうか、証拠としての価値(証明力)が裁判官によって判断されることになるだけ。そして、裁判官は、県の職員が会ってもいない人を名指しすることなどありえない、言われてもいないことを書いたり報告することもあり得ない、こうした世間常識(「経験則」という)に従って、その内容の真偽を判断する。結論は誰の目にも明らかだ。それが裁判であり証拠の扱い、ルールだ。
 にもかかわらず、彼は法律の専門家の顔で、平然と誤った意見を述べて国民の誤導を試みる。国民は法律の専門家の意見なのだから、先のネットの意見のように、そうなのかと思ってしまう。これは、法律家も時には間違うこともあるで済まされることではない。この人物の発言もまた、この間一貫して政権擁護だったのだが、ここまでになると、この専門家の発言は、もはや国民の世論形成にとって有害な脅威になっているといっても過言ではない。TV局の責任問題にも発展していいことだ。」
 「しかし、ネットを調べるうち、同人物が安倍首相の隣に座り会食している写真が公開されているのを見て大いに納得した。しかし、同時にまた、この事実は、彼の意見が単なる法律の勘違いではなく、意図的になされていることを推測させるものでもある。
 報道の中立云々、違った立場の意見を公正に伝えるとかの問題を超えている。法律の専門家の肩書を利用して一定の意図をもって世論を誘導しようという行為だ。許されない。残るのは、TV局側が彼をどう扱うのかの問題だろう。彼は法律の専門家として国民に法律的にはどうなのかという見解、国民に法的にはそうなのだろうと受け取られる立場で意見を述べているからだ。恐ろしい事態ではないか。」
 「彼を法律の専門家としてのコメンテーターの位置を与えておいてよいのかどうか。彼は最大限その肩書、立場を利用して誤った法律論で国民の眼を曇らせ安倍擁護に走るのだから。法律の素人の意見とは、その毒性、影響力が違い過ぎる。これまでにも彼の発言の中に同じような法的に誤った意見は多くあったが、今回はこれまでの比ではない。たまらず一筆啓上とあいなった。」  
  ここで書いた「某人物」「彼」が、八代英輝弁護士である。

 私は、その後TBSにも抗議のメールを送ったが、梨のつぶてで彼はコメンテーターとして居座り続けてきた。

 ちょっといい気になり過ぎたのか、或いは、参院選の「少し後退」で、求心力確保策を改憲から民族主義国粋主義に舵を切るかに見える安倍晋三を擁護したいがための焦りからなのかは知らないが、今回の発言はいくら何でも無事にはすまないのではないか。

 彼が自ら進んでその正体を国民に曝してくれたことは大いに歓迎すべきことだ。これで彼の発言の国民への影響力は大きく減殺されることになる。国民の多くが、背後にある彼の政治的思惑を気にしながら、眉に唾して彼の発言を聞くことになるからだ。

 しかし、この発言、彼のコメンテーターとしての評価の低下だけで終わりというわけにはいかない。公共の電波を利用して、彼は、多くの購読者を擁する三大新聞の一つ朝日新聞を「反日」呼ばわりしたのだ(購読者も「反日」新聞の読者ということになるのか?)。当たり前のこととして、彼は、彼が使った言葉「反日」について、朝日新聞に対してはもちろんのこと、国民に対しても「朝日新聞反日」の意味を説明する義務がある。「日」は「日本国」なのか「日本国民」なのか、それとも「自民党」「安倍政権」「安倍晋三」なのか、それともまた「八代英輝」自分自身のことなのか、ハッキリさせなければならない。自分の意見に反する者や安倍晋三に従わない者はみな「反日」になるのか、自分の考えを「日本国」と定義するのか、自分の考えが全ての国民の考えだとして「国民」の名を騙ろうというのか。
 別の説明ができるならそれで構わぬが、ともかく言い訳があれば聞かせてほしい。

 思想、良心の自由は憲法の保証するところ。何を思っていてもいい。しかし、ヘイト行動をも助長しかねないこうした発言が弁護士の口から出る。「人権擁護と社会正義の実現」を旗印にした弁護士会でも問題視されかねない看過できない発言だ。

 もちろん、意思にそぐわなければ謝る必要はない。我が国は、どんな意図で何を言おうが、表現の自由が保障された国だ。また、コメンテーター、弁護士をやめろ、とも言わない。ただ、最低のこととして、君は、君が発言したと同じ電波で、それを見聞きした国民(或いは君が反日呼ばわりしたととられても仕方ない国民)に対して、その発言した言葉「反日」の意味をキチンと説明すべきである。例のヘラヘラ調子の逃げ口上ではなく、その義務だけは真面目にしっかりと果たさなければらない。

 さて、先にも指摘したことだが、TBSさん、こんなコメンテーターをまだ使い続けるのですか? テレビ朝日にも、同じく政権から送り込まれたような大学教授がいることはいるのだが、どこかがまず権力監視のマスメディアとしての使命を思い起こし先鞭をつけなければ・・・・・。TBSもテレビ朝日もまだまだ頑張っている局との私の評価を最後に付加した上での要望です。

青木理著「安倍三代」。安倍晋三は「ガランドウ」

久々にブログ投稿の意欲が湧いた。
これまで安倍晋三の軽薄さと安倍政治の酷さ、愚かさにさんざん腹を立て、ブログに投稿を繰り返してきた。ただ、このところは、何を言っても何をやっても変わらない安倍内閣支持率にいささかうんざりし、国民への信頼まで薄れかけてきていた。
 そこに、テニス仲間の一人が、「読んでみますか」と本を1冊貸してくれた。

 青木理(TVでコメンテーターも)著「安倍三代」(朝日文庫 2019,4,30第一刷発行)

 安倍晋三に関する記述をむさぼるように読んだ。素晴らしいルポルタージュであり、丁寧で緻密かつ広範な取材に基づき整理された事実、これに踏まえた人物描写とその評価には、何者の反論も許さぬ覚悟の上の凄みさえ感じさせる説得力がある。

 私が安倍批判を展開するとき、嘘も隠蔽も平気、文書の変造、部下にまで嘘を強いて犠牲にし、しかもそのことに何の痛痒も感じない彼の振る舞い等から推測していたその人物像の根拠は、一般に良く知られた彼の生まれ育った家庭環境を想像すること位のものであった。この本は、私の推測が間違いでなかったことを、彼の人格形成にかかわる事実の綿密な積み重ねと彼の周辺にいた多くの人たちの証言を追うことで裏付けてくれたばかりか、この間の行き当たりばったり、出鱈目にも近い彼の政治の在り様、そのすべてを説明できる彼の人格、人となりそのもの(欠陥)を、その形成過程から丁寧に洗い出すことによって、揺らぎようのない説得力をもって見事に解き明かしてくれている。

 大事に育てられた血筋のよい良家のおぼっちゃま、小中から大学まで成蹊学園での内部進学(彼は受験という苦労もしたことがない)、南カリフォルニア大学政治科へ留学(と自分のプロフィールに書いて、後に単なる英語留学だったことがばれて政治学を消去)、仕事も神戸製鋼所への父晋太郎の力による「政略入社」(「お預かり」、当時の会社上司らの赤裸々な語りも登場する)、職探しも不要、数年して外務大臣に就任した父晋太郎に政治秘書として呼ばれる。こうした彼の生活環境、生育過程が時々の友人らの証言にも裏付けられて整理されている。彼は、敷かれたレールの上を運ばれていただけで、生計の苦労はもとより、人生の中で誰もが一度は経験するであろう挫折の何たるかも知らず、それどころか、人生の中で、何かの目標を目指して精一杯の努力をしたそんな経験すらもってないのである。
 さらに、成蹊大学では法学部政治科だが、成績は可もなく不可もなし、教師陣にも一人として彼の在学中の勉学の様子や成績に言及する者がいない。もちろん、成績の良さなどは政治家としての資質の中でさほど重要な要素とは思わない。国民の現在将来の安心安全な生活、そのことを第一に真剣に考えてくれるのであれば、政治家の資質として十分だ。しかし、彼には、彼が国民の暮らしや政治などに関心、興味を持っていたと思えるようなエピソードが何一つ見つからないばかりか、そうした性向をうかがうに足る痕跡すら見えないというのだ。質問された大学時代の多くの友人らの証言に、彼が政治談議をしていたとか、政治に興味をしめしていたとかいう話がほとんど何も出てこないのである。国会で憲法学の権威芦部信義を知らないと堂々と答弁したそうだが、政治のことはもちろん法律、憲法さえ真剣に学んだ形跡は見えないという。政治家安倍の「靖国」「戦争のできる国日本」「憲法改正」その政治信念信条らしきものさえ、みな後付けだというのだから、呆れるというよりはため息を静かに吐きだすほかはない。青木氏もまた、自ら調べ上げた、政治家になる前の安倍晋三のこうしたあまりにも「空疎で空虚な」実像に驚愕し、失望と落胆を隠さない。
 「安倍総理は自分たちが作った」と「日本会議」の面々が豪語するが、確かに大変な拾い物、宝物だ。色はどのようにでも染められる。おだてれば直ぐその気になって「自分は優秀な政治家」と思い込み、そのように振る舞える。思い付きでことを起こし、あちらで手を打てばあちらへ泳ぎ、こちらで手を打てばこちらに向かう。お殿様育ちだから皆が従うと信じて疑わない。実際そのように振る舞われると、知らず周りも従ってしまうのが可笑しい。「法の支配」「立憲主義」が何だ!「論理性」「整合性」お構いなしの国会答弁も「無知」故の強さが何とも頼もしい。利用したい者には、これほど使い勝手のいい人間はない。彼らにとって、権威付けのための政治の良血と言うことをよく聞いてくれる素直さがあれば他は要らない(学生時代の友人らの「優しくていいヤツ」だという話も出てくる)。骨のある右翼ではかえって扱いにくい。
 自分の思い通りにならなければ首をすげ替えて(内閣法制局長官日銀総裁)自分の思いを押し通す、戦後70年守り通してきた平和国家日本の在り様を一夜にして変える、憲法改正にも何の躊躇もなく突き進む、強行採決も平気、 好景気株高を演出させるのに日銀に株まで買わせ、国民が積み立てた年金基金まで平気で株に注ぎ込ませる。使い捨て同然の部下の扱いも異様、日本語も変だ。「美しい日本を取り戻す」(別の著者の安倍批判には、安倍が「箸もうまく使えず」「犬食い」だとの指摘もある。私は未確認)「一億総活躍社会の実現」などの言葉が平気で口にでて、しかも空疎で中身のないその言葉に本人はご満悦らしいのが不思議だった。森友加計問題の時も、「信なくば立たず」堂々と述べて居座る。国民の信頼を失ったら(国民に疑われるようでは)政治は成り立たない。その本当の意味が分かっていない。
 私は、安倍が次々繰り出すこうしたあまりにひどい政治経済政策とその手法そしてその言動に、怒りを通り越して、どうしたらこんなことができるのか、普通の人にできることではないのだが、、、不思議な物を見ているような感覚にさえなった。その不思議の根っこのところを青木氏が解き明かしてくれたのである。安倍の政治に怒っても仕方がなかった。安倍に政治的思考、経済的思考を求めても無理、彼にはその素地がない。批判は彼には通じない。一から育て直す、学び直させる以外に、安倍にその政治の不合理さ酷さ悪どさを分からせることは不可能だ。彼の政治経済の諸政策、その振る舞いのすべては、もはや変えようのない安倍晋三の人格、政治経済判断能力そのものの表出なのだから。外交の安倍と称し、あの昭恵夫人と手をつないででもひたすら世界を回りたがる理由もこれで読めた。
 憲法解釈の変更、安保法制強行、憲法改正への猛進、青木氏が指摘するように、それは、過去70年の平和国家日本、そのために払われてきた先人たちの並々ならぬ苦労と苦悩(それは自民党の歩みでもあった)に一片の感謝も感じず敬意を払うことも知らない安倍、学者らが考えに考え抜いた末の憲法理論と解釈、これを深く学んだことのない安倍、その安倍だからこそできた芸当だったのだ。異次元金融緩和、日銀の株買い、将来がどうなろうが構わぬ経済政策も、熟慮の結果ではなく、思慮の欠如から生まれたのだ。政治のやり方がひどいのではなかった。安倍そのものが酷い。人物が粗末に過ぎるのだ。こんな人物だからこそ周りに乗せられてあんなことができたというのが正しい。少しでも政治や経済に思慮深さがあり、政治を語るにふさわしい素養のある人物ならこんな政治にはならない。国民の生活感覚など皆目分からないし、国民目線の政治などと言ったところで理解できるはずもなく、それをベースに批判したところで「馬の耳に念仏」である。彼にとって、彼の支持者以外の国民はみな、負けるわけにいかない「こんな人たち」にすぎないのだ。国民の政治を任せてはいけない人物が政治の頂点にいる。これが間違いの根源だ。まっとうな保守政治家だったと評価される父安倍晋太郎も、おそらくは想定外の大変な過ちを冒してしまったことになる。
 
 青木氏は次のように慨嘆する。「善でもなければ悪でもないが、取材するほどに募るのは落胆ばかり」「それは不気味ささえ感じさせる」「何故このような男が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた、この国のかたちを変えようとしているのか」。「これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。」そして、登場した歴史上のタイミング(政権交代民主党政権のだらしなさ 回復過程にあった世界経済)の運の良さと、制度的欠陥として、小選挙区比例代表制とそのことによる権力の集中、自民党執行部の強大化をその要因として挙げる。政治家としての資質、能力からは彼の今の政治的位置を説明することができないのだ。歴史も時にとんでもない悪さをするものだ。 
 本には、大学の恩師の次のような述懐が出てくる。「私は今でも数%の可能性に期待しています。目を覚まし、正しい意味での保守、健全な保守を発見してほしいと思っています。でなければ、歴史に名を残すのではなく、とんでもないことをやった総理として歴史にマイナスな名を残すことになる。名誉ある安倍家の名を汚すことになる」。この悲痛な叫びも残念ながら彼には届かないだろう。普通の人にはある、それを受け止めることのできる素地、感性が彼にはない。

ただ、嘆いてばかりもいられない。何をするか分からない、何でもやってしまいそうな、そんな人物が、一端の政治家のように振る舞いながら、一定の国民の支持も得て、日本を戦争のできる国に導こうとしているのである。日本維新の会の某議員が「戦争で北方領土を取り戻す」発言をして叱られているが、そんなことよりも、日本の内閣総理大臣安倍晋三が、この日本を日本防衛のためだけではない戦争(集団的自衛権)をできる国にしようとしているという最も重大な問題を忘れてはならない。彼は日本を戦争のできる「普通の国」にしたいのだし、憲法が改正できれば、軍の最高司令官として徴兵制の実施にも何の躊躇もしないだろう(いや、憲法は徴兵制を禁止していないという解釈変更の方が心配か)。戦場に送られるのは一般庶民であって、自分は送る側の人間だ。

 世論調査安倍内閣支持の理由で最も多いのが「他に適当な人がいない」である。
この本を読んだ後でも、この人たちは同じことを言うのだろうか。安倍ではない誰か、少なくても、自分たちと同じような生活環境で育ち、人並みの苦労もし、苦難は力を合わせて克服し、みんなが助け合える社会を築きあげる、そんな国民目線で物事を考えることのできる人、それなりの勉強、努力もし、なにがしかの国民のための政治的理想も本気で語れる人、そんな人物に、あるべき日本の国のかたち、国民の生活の在り様を考えてもらいたいと思うのではないか。
 この本によって明らかにされる素裸の安倍晋三とその上辺を飾る政治言動とのギャップの大きさを知れば、誰もがこんな人物に日本の将来、子や孫の未来を預けてよいとは思わないはずだ。
 安倍が総理総裁として「適当」なのかどうか。この本ができるだけ多くの人の目に触れて、これまで知られずにいた、政治家として不適格、総理総裁ともなれば最低最悪と言うべき安倍晋三の「本当の姿」が一人でも多くの国民に認識され、広く知られていくことを願ってやまない。日本をまずは安倍の手から取り戻さなければならない。今ならまだ間に合うのだから。
 

安倍内閣支持率40%の怪! 国民の油断?

 失点が積み重なるばかりというのに、最近の世論調査でも、安倍内閣支持が押しなべて4割を維持している。人物評価、政策別評価では、「森友加計問題がきちんと説明されたとは思わない」「原発再稼働反対」「沖縄の民意を尊重すべきだ」「統計問題の真相は明らかになっていない」と、政権への批判的な評価がほとんどなのだが、安倍内閣を支持するか否かの設問となると、「他よりよさそうだから」と支持率が4割を超える。分からない。質問の仕方、調査方法に誤導があるのではないかとも考えていたが、どの新聞社、放送局の調査でもほとんど同じ傾向を示すことからすると、矛盾にも見えるこの結果も国民の意思表示と認めざるを得ないのだろう。
 しかし、安倍晋三の政治、政策を評価しているとは思えない国民、その4割もの人たちが、「安倍内閣のままでいい」というこの事態。これがそのまま自民党への投票行動となれば、自民党は大勝して安倍はまた延命し、日本は国民までが基本的倫理道徳感を欠いた低俗国家との烙印をおされかねないことになる。経済第一、自分ファーストで、国民自体の倫理観道徳感まで劣化してしまったのか? 楽観は許されないのかもしれない。その所以と深刻さの度合いを真剣に考えてみる必要がありそうだ。
 理由の一つは経済か? 私の知り合いで「格差云々もあるが、結局のところ、とことんまで困っている者が少ないんだよ」「安倍のおかげで今の経済、何とかなる生活があり、それでいいと思っているんだよ」と言う者がいた。経済格差はもはや看過できないレベルに達していると思うが、それを措くとしても、安倍内閣支持の理由がそんなところにあるのだとすれば、それは明らかな勘違いである。今の経済は決して安倍政権によってもたらされ維持されているものではない。リーマンショック以降世界景気が立ち直る過程にたまたま安倍政権が位置していたにすぎないし、やったことも異次元金融緩和による円安誘導政策で一部輸出業者を突出して潤しただけ。言うところのトリクルダウンも生まれなかった。実質賃金は伸びず、消費も停滞したままだ。地方の疲弊も耕作放棄地の増大、拡大し続けるシャッター街で一目瞭然だ。安倍総理が声を張り上げる「雇用の改善」も、何のことはない、その主たる原因は社会の高齢化、従業員の退職、労働者の急激な減少によるものであったことが、財界の要請で大慌てで行われた外国人労働者の受け入れ立法で明らかになっている。
 さらに、さしたる効果も認められないその異次元金融緩和には、経済学者から軽視できない副作用の発生が懸念されているというのだから事は深刻だ。政府の発行済み国債の半分を日銀が保有してしまった。江戸時代に殿様(安倍)が金が足りないと番頭(日銀黒田)に命じて刷らせ、全部紙切れになった藩札と同じだ。日本経済に適正な市場の貨幣量、政府から独立したはずの経済調整機関(日銀)は政府の小間使いに成り下がり、そこに客観的合理的な抑制は何も働いていない。こうして異様に作り上げられた経済が、その正常化、緩和政策を元に戻す出口のところで日本経済にどういう不都合をもたらすことになるのか、誰も経験したことのない未知の世界が大きな口を開けて待っている。その時、安倍、黒田はもう責任を取るべき立場にはいないだろう(いても責任はとらないという方が正確か)。
アベノミクス」に一役買い続けてきた日銀の株買いも、前に書いたとおり実に酷い政策だ。国民のなけなしの預貯金の金利はいつまでたってもほぼゼロ(ゼロ金利政策)、もう何年になるのだろう? それはそのままに、日銀はせっせと札を刷って富裕層株主には札束(年間6兆円)を供給し続けている。この偏頗なバラマキにどうして国民は怒らないのか、これも私には、日本人の寛容さでは片づけられない不思議の一つだ。
ただ、これらの誤解は国民がどこかで気づきさえすれば解消されることである。国民はいつまでも口先だけの安倍マジックに騙されてはいないだろう。

 もっとも、安倍内閣のこうした政策のもとで、実際に、株で大儲けをし、円安政策で自動車その他輸出産業は潤い莫大な利益を手にした者も多くいる。そうした株屋、財界人、高額所得会社員の中から「何が何でも安倍」派が形成されてもおかしくはない。安倍に限らず、国民の中にも自分さえ良ければ良しも少なからずいる。しかし、それは国民全体でみればわずかなものだろう。また、靖国、戦後の清算憲法改正、軍備増強など思想的に安倍を支持する者も結構いるようだが、それを加えたとしても、とても国民の4割に届くとは思えない。安倍内閣支持、その余のほとんどは積極的支持というより、消極的容認にとどまる人たちと考えて間違いないのだろう。


 しかし、問題はここにこそある。消極的にしろ、この人たちがどうして「安倍内閣支持」と答えてしまうのか、その理由である。まさか国民も、これまで見てきた安倍政権の不祥事で、安倍の直接の関与はなく全部取り巻き連中の「忖度」の結果と考えているわけではあるまい。それでもなお「安倍でいい」と思わせるものは一体何なのか。そこを知りたい。そこで、国民の倫理道徳観まで安倍レベルにまで落ちてしまったとはどうしても考えたくない私が思案の末にたどり着いたのが、かつての自民党大物(と言われた)政治家たちとは異質な、次のような「安倍晋三固有のキャラ」原因説なのだが、どうだろう。
 血筋が良く何不自由なく育ったであろうその生育環境、それもあってか、かつての自民党政治につきものだったいわゆる金権腐敗、汚職などの下劣な政治と彼は縁がない。札束で頬っぺを叩いて子分を増やそうとはしないし、今ある地位も自分で勝ち取ったというよりほとんどは周りのお膳立ての結果である(最近、麻生、菅、二階の権力闘争が表面化し、その実態と綻びが見えてきたが)。しでかした悪事も、見方によっては、国民の目を盗んでお友達に便宜を図ろうとした程度のこと。それで私腹を肥やそうとしたわけではない。バレそうになれば、後先も考えず我を忘れて人の陰に隠れてひたすら逃げようとする。見え透いた嘘すら口にする。イタズラを見つけられて逃げ回る、幼稚で世間知らず、どこか憎めない良家のボンと描写することもできそうだ。また、安保法制強行、憲法改正などの極端な右寄り思想の持主ではあるが、その容姿、言動とも、国民に見た目の恐怖を感じさせるところは少ない。聞かれてもいないことを延々と話し、真意とはかけ離れた日本語で国民をごまかそうとする粗末な国会答弁を聞いていると、能力の低さ、稚拙さを感じることはあれ、これを放置することがそのまま独裁国家への道となり、ヒトラーフセイン金正恩など国民を戦争にかりだす独裁者の誕生に直結するとイメージすることは、彼の場合なかなか難しい。国民に敵対感情をむき出しにすることもない。沖縄県民投票の結果に、真意とは真逆の「民意を尊重」「民意に真摯に向き合い」などの言葉が抵抗なくスムーズに口をついて出る。怒りというより笑い出してしまいそうにもなる。そのキャラのせいか、責任観念も希薄で、前面に立ち後始末をし責任をとるのはいつも取り巻きたちである。これまで血で血で洗うような抗争の末にその地位を掴み取ってきた自民党総裁とはかなり様子の違う不思議な存在、それが安倍晋三である。
 こうした彼の外観、言動、雰囲気などが、実はウルトラ級の右翼思想の持ち主でありながら、国民の恐怖心を薄れさせ、国民の間に、どんな政策であれ、金権に明け暮れていたかつての自民党政治よりははるかにマシで真面目な政治がおこなわれているかのような錯覚をもたらし、それが国民の目を曇らせ、国民に「安倍でいいではないか」の「油断」を生じさせているのではないか。国民の側の油断、これが「安倍内閣支持率4割の怪」の私の一つの結論である。

 しかし、安倍内閣支持の理由がもしそういうところにあるなら、その人たちには、日本の未来、子供や孫たちの将来のことをもう一度真剣に考えてみてほしい。安倍は、嘘、隠蔽は平気、公文書の偽造(指示はしなくても、間違いなく承知はしている)、国民を欺くことも気にならない。部下を庇うどころか自分のためには犠牲すら強いる。そして、最も深刻なのは、彼には、こうした行動について内的抑制が全く働らいていないように見えることだ。「私は100万円渡していません」「私が加計学園の申請を知ったのは、最後の認可の時です」これほどの嘘が息を吐くように口から出る。人間として最も大事な基本的倫理道徳を欠いている疑いが濃厚なのだ。安倍語録、あまりに軽々しい言葉の数々も良心の欠如を疑わせる。それは、内心びくびくしながら悪事を企み、姑息に私利私欲を満たそうとする輩より、時に国民にとってはもっと危険な存在となる可能性がある。国の緊急事態に遭遇したとして、そうした人物が何を考え何を優先させることになるのか全く想像すらできないからだ。少なくとも、国のために己を犠牲にし、国民のためなら命も惜しまぬ、そういう人間でないことだけは確かである。悪くすれば、真っ先に逃げる。
 また、次の事実はこれまで気になったこともなく、一般的に正しい意見とも思わないが、政府の農業政策に立腹する知人の一人が口にした。「安倍には子供がいない。そのことが彼の物の考え方に影響しているのではないか」。原発再稼働、安保法制、憲法改正、状況が許せば直ぐにでも乗り出しかねない徴兵制、戦争。我々が原発に反対した理由の第一は「子や孫たちが安全に安心して暮らせる巻町を守ろう」だったし、安保法制、憲法改正問題にしても、真っ先に頭に浮かぶのは、「子や孫が戦争に駆り出される恐ろしい世の中はお断り」だ。トランプの言いなりに猪突猛進する彼の姿、そこには何の躊躇もなく、微塵のためらいも感じられない。今の自分の政治を良く見せることができさえすればいいだけの前記経済政策を見ても、彼が、次の総理、子や孫たち次世代の国民、次代の日本の在り様を真剣に考えているとはとても思えない。先のことはお構いなしの彼の政治行動のすべてがこの一事で説明がつくという恐ろしいばかりの符号に驚かざるを得ない。あくまでも彼に関する限りだが、その指摘は当たっているのではないか、と思わせるところがある。子のあるなしに拘わらず今の自民党議員はみな同じではないかという反論もありそうだが、先頭で政治を引っ張る人間とただそれに付き従うだけの人間とでは、真剣さと責任において雲泥の差があろう。

 政治に携わる者、能力差はあり過ちもし失敗もするだろうが、その前に、まず「国家国民のことを最優先に考えること」、そして「真面目に正直に国民と向き合うこと」、それが政治家たる者の最低条件でなければならない。安倍や取り巻き連中にはそれがない。もちろん、自民党に限ったことではない。自民党に席がないので野党を名乗ってきただけの議員、電力労組(連合)の票が欲しいばかりに原発廃止を言えない野党議員もいる。これもまた、自分が議員であることが何より大事で、それを国民の安全安心よりも優先させてしまう輩だ。同じく排除されなければならない部類の政治屋だ。

 確かに、政治環境は厳しく、容易に政権交代を口にできる状況にないことは認めざるを得ない。しかし、理想論と言われるかもしれないが、あるべき民主政治の原点を、国民の側から諦めてしまってはいけない。日本の将来をしっかり見据えて議員一人ひとりの資質、性格、そして何よりその人物が人間としての確かな良心を持ち合わせているのかどうかを見極めて、厳しく取捨選択し、基本的資格を欠く者は排除する、その作業を根気よく続けていくしかない。急ぎ過ぎてもいけない。時間はかかっても、それが日本に良識ある政治を取り戻す、今残された唯一の道ではないか。

 アベノミクスが失速し(或いは、化けの皮がはがれ)、経済減速、いよいよ消費税の再々延期を口実にする衆議院解散、衆参同日選挙が現実のものとなってきた。ごまかし、けたぐり何でもあり、それで選挙に勝ち続けてきただけの安倍と自民党、国の未来と国民に正直に向き合おうとしない安倍が考えるのは、またもその程度のことだ。
 今度も安倍の詐術にやられてしまうのか? ボールは国民の側にある。4選もありという安倍政治でいいのかどうか、問われるのは国民の良識だ。

安倍四選!?!? 大いに結構・

 またぞろ動き出した。「安倍四選」。あの方の感受性の鈍さ、直近幹部らのうす気味悪いほどのゴマすり、手懐けられた決して逆らうことのない取巻きたち、こうした状況からすれば、予想もできたし、大方の見立てもそうだったのかも知れないが、こうして眼前に突き付けられてみると、やはり驚きを禁じ得ない。んッ!そう? ご本人も、「党が決めること」例によって得意満面の国会答弁だ。それにしても今この時期か!? 求心力が失われてしまってからでは遅いという危機感からの早めの動き出しなのかもしれないが、このことがやがて来る国政選挙にマイナスに働くことはないかなど微塵も心配をしないところが、今の自民党幹部らの奢りと政治感覚の鈍麻を物語っている。国民をそこまでなめるか!
 私は、昨年の自民党総裁選、自民党議員8割もの安倍晋三支持を見て、彼らのほとんどがその利益に浴するであろう日銀黒田の株買い、株高誘導にその理由があるのではないかと考え、ブログにも書いた。格差拡大お構いなしのこれほど見え透いたことは安倍にしかできない、安倍でよい、と。派閥の締め付けや小選挙区制の下での党の公認欲しさだけではどうにも説明がつかなかったからだ。今日は少し視点を変えてみる。
 安倍四選を言い出したのは、加藤自民党総務会長である。次期総理として安倍の意中の人と書かれたこともある人物である。安倍が今期で辞めたら、禅譲期待の岸田が「次は必ず闘う」と公言している。自分にはまだ少し早い。もう1期安倍にやってもらえば、岸田の芽は消え自分が名乗りを上げられる環境が整う。そう読むと、何のことはない、安倍四選も自分の打算からの発言であることが分かる。
 麻生と二階。こちらはテレビ朝日の玉川氏が述べていたことが非常に分かりやすかった。二人とも、安倍退陣とともに副総理、自民党幹事長の政治寿命が終わってしまう。麻生79歳、二階80歳、さすがに麻生、二階に総理の椅子は用意されていない。しかし二人ともまだまだ権勢欲は旺盛で、派閥を膨張させ、いくつかの知事戦では互いに張り合ってさえいる。そのナンバー2、ナンバー3の座が後3年で終わりを迎える。安倍政治のもと権力をほしいままにしてきた二人には耐え難いことに違いない。今の権勢を保持して政治家を生き続けようとすれば、たっぷり恩を売った上で安倍に総理を続けてもらうことが最も確実な道となる。この二人が安倍四選の実現に向かうのはごく自然な成り行きである。安倍の細田派、麻生派二階派が寄り合えば容易に安倍政権を継続できるのだから。
 そうするとしかし、この二人にとっての安倍四選もまた、政治家としての安倍を高く評価し彼の政治を続けさせたいというのとは全く筋が違う。ただただ自分自身の利害、それだけである。誰にも負けられない安倍への支持表明。だから、この安倍四選支持が国政選挙にどう影響するのか、自民党の候補者らににどのような悪影響があるのかなども考慮の外となるのである。
 このようにみてくると、今回の安倍四選への動きは、自民党幹部らの安倍支持の強固さを示すものではないし、ましてや自民党内での安倍の政治力、影響力の大きさを示すものでもないことがよく分かる。安倍の統制が利いているわけではない。権力欲にまみれた者同士の危ういバランス、その利害の一致するところで辛うじて政権が維持されているというその実像が見えてくる。これは案外脆い。図体が大きいだけにわずかなバランスの乱れで一挙に崩壊というシナリオもあり得る。
 そうすると、この時期、深く検討された様子もなく飛び出した安倍四選の提起は、ひょっとすると、安倍の求心力の低下をそのまま示すものであり、自民党内のバランス崩壊の序章なのではないかとすら思えてくる。「安倍四選」が選挙の旗印として自民党全体にとってとてもプラスとは思えないし(ポスターに安倍とのツーショットを使わない候補者も多いと聞く)、それどころか、国民にとっては朗報、歓迎すべき事態と言っていいかもしれないからだ。これから国政選挙に臨むにあたって、安倍政治をこの先さらに7年間も続けさせていいのかどうか、その重大な判断材料が国民に与えられるのだから。
 「嘘をついてはいけません」「隠しおおせればいいというものではありません」「部下を大事にしなさい」「責任を人に転化してはなりません」「立場ある者にはそれ相応の責任の取り方というものがあります」「自分を守ってくれた人は自分を捨てても守り通さなければいけません」、人間としての基本道徳を教え諭し、注意してくれる人が傍にいなかった不幸な生い立ちは同情に値するが、それが一国の総理総裁となると見過ごしにはできない。森友加計の嘘と隠蔽、公文書改竄、国会を愚弄、見せかけのアベノミクス、そのための株価操作と統計いじり。拉致被害者家族には「トランプ大統領によく頼んでおきました」「電話があり、トランプ大統領が話をしてくれたそうです」、自分でリスクは背負わない、嫌なことは人任せ、こんな総理に頼らざるを得ないとは、被害者家族が可哀想だ。一刻も早く辞めてもらわなければならない。
 麻生、二階、加藤らの安倍四選支持は、それぞれ自分の利害で動くのだから本気モード。安倍の方も、自分が優れた指導者として支持されているものと信じて疑わないキャラだから、直ぐにその気になる。安倍自民党を勝たせたら安倍総裁の四選は間違いなく現実の恐怖となる。
 安倍四選でいいのですか? これからの国政選挙、国民には深刻だが最良とも言える判断材料が提供されることになりそうだ。