青木理著「安倍三代」。安倍晋三は「ガランドウ」

久々にブログ投稿の意欲が湧いた。
これまで安倍晋三の軽薄さと安倍政治の酷さ、愚かさにさんざん腹を立て、ブログに投稿を繰り返してきた。ただ、このところは、何を言っても何をやっても変わらない安倍内閣支持率にいささかうんざりし、国民への信頼まで薄れかけてきていた。
 そこに、テニス仲間の一人が、「読んでみますか」と本を1冊貸してくれた。

 青木理(TVでコメンテーターも)著「安倍三代」(朝日文庫 2019,4,30第一刷発行)

 安倍晋三に関する記述をむさぼるように読んだ。素晴らしいルポルタージュであり、丁寧で緻密かつ広範な取材に基づき整理された事実、これに踏まえた人物描写とその評価には、何者の反論も許さぬ覚悟の上の凄みさえ感じさせる説得力がある。

 私が安倍批判を展開するとき、嘘も隠蔽も平気、文書の変造、部下にまで嘘を強いて犠牲にし、しかもそのことに何の痛痒も感じない彼の振る舞い等から推測していたその人物像の根拠は、一般に良く知られた彼の生まれ育った家庭環境を想像すること位のものであった。この本は、私の推測が間違いでなかったことを、彼の人格形成にかかわる事実の綿密な積み重ねと彼の周辺にいた多くの人たちの証言を追うことで裏付けてくれたばかりか、この間の行き当たりばったり、出鱈目にも近い彼の政治の在り様、そのすべてを説明できる彼の人格、人となりそのもの(欠陥)を、その形成過程から丁寧に洗い出すことによって、揺らぎようのない説得力をもって見事に解き明かしてくれている。

 大事に育てられた血筋のよい良家のおぼっちゃま、小中から大学まで成蹊学園での内部進学(彼は受験という苦労もしたことがない)、南カリフォルニア大学政治科へ留学(と自分のプロフィールに書いて、後に単なる英語留学だったことがばれて政治学を消去)、仕事も神戸製鋼所への父晋太郎の力による「政略入社」(「お預かり」、当時の会社上司らの赤裸々な語りも登場する)、職探しも不要、数年して外務大臣に就任した父晋太郎に政治秘書として呼ばれる。こうした彼の生活環境、生育過程が時々の友人らの証言にも裏付けられて整理されている。彼は、敷かれたレールの上を運ばれていただけで、生計の苦労はもとより、人生の中で誰もが一度は経験するであろう挫折の何たるかも知らず、それどころか、人生の中で、何かの目標を目指して精一杯の努力をしたそんな経験すらもってないのである。
 さらに、成蹊大学では法学部政治科だが、成績は可もなく不可もなし、教師陣にも一人として彼の在学中の勉学の様子や成績に言及する者がいない。もちろん、成績の良さなどは政治家としての資質の中でさほど重要な要素とは思わない。国民の現在将来の安心安全な生活、そのことを第一に真剣に考えてくれるのであれば、政治家の資質として十分だ。しかし、彼には、彼が国民の暮らしや政治などに関心、興味を持っていたと思えるようなエピソードが何一つ見つからないばかりか、そうした性向をうかがうに足る痕跡すら見えないというのだ。質問された大学時代の多くの友人らの証言に、彼が政治談議をしていたとか、政治に興味をしめしていたとかいう話がほとんど何も出てこないのである。国会で憲法学の権威芦部信義を知らないと堂々と答弁したそうだが、政治のことはもちろん法律、憲法さえ真剣に学んだ形跡は見えないという。政治家安倍の「靖国」「戦争のできる国日本」「憲法改正」その政治信念信条らしきものさえ、みな後付けだというのだから、呆れるというよりはため息を静かに吐きだすほかはない。青木氏もまた、自ら調べ上げた、政治家になる前の安倍晋三のこうしたあまりにも「空疎で空虚な」実像に驚愕し、失望と落胆を隠さない。
 「安倍総理は自分たちが作った」と「日本会議」の面々が豪語するが、確かに大変な拾い物、宝物だ。色はどのようにでも染められる。おだてれば直ぐその気になって「自分は優秀な政治家」と思い込み、そのように振る舞える。思い付きでことを起こし、あちらで手を打てばあちらへ泳ぎ、こちらで手を打てばこちらに向かう。お殿様育ちだから皆が従うと信じて疑わない。実際そのように振る舞われると、知らず周りも従ってしまうのが可笑しい。「法の支配」「立憲主義」が何だ!「論理性」「整合性」お構いなしの国会答弁も「無知」故の強さが何とも頼もしい。利用したい者には、これほど使い勝手のいい人間はない。彼らにとって、権威付けのための政治の良血と言うことをよく聞いてくれる素直さがあれば他は要らない(学生時代の友人らの「優しくていいヤツ」だという話も出てくる)。骨のある右翼ではかえって扱いにくい。
 自分の思い通りにならなければ首をすげ替えて(内閣法制局長官日銀総裁)自分の思いを押し通す、戦後70年守り通してきた平和国家日本の在り様を一夜にして変える、憲法改正にも何の躊躇もなく突き進む、強行採決も平気、 好景気株高を演出させるのに日銀に株まで買わせ、国民が積み立てた年金基金まで平気で株に注ぎ込ませる。使い捨て同然の部下の扱いも異様、日本語も変だ。「美しい日本を取り戻す」(別の著者の安倍批判には、安倍が「箸もうまく使えず」「犬食い」だとの指摘もある。私は未確認)「一億総活躍社会の実現」などの言葉が平気で口にでて、しかも空疎で中身のないその言葉に本人はご満悦らしいのが不思議だった。森友加計問題の時も、「信なくば立たず」堂々と述べて居座る。国民の信頼を失ったら(国民に疑われるようでは)政治は成り立たない。その本当の意味が分かっていない。
 私は、安倍が次々繰り出すこうしたあまりにひどい政治経済政策とその手法そしてその言動に、怒りを通り越して、どうしたらこんなことができるのか、普通の人にできることではないのだが、、、不思議な物を見ているような感覚にさえなった。その不思議の根っこのところを青木氏が解き明かしてくれたのである。安倍の政治に怒っても仕方がなかった。安倍に政治的思考、経済的思考を求めても無理、彼にはその素地がない。批判は彼には通じない。一から育て直す、学び直させる以外に、安倍にその政治の不合理さ酷さ悪どさを分からせることは不可能だ。彼の政治経済の諸政策、その振る舞いのすべては、もはや変えようのない安倍晋三の人格、政治経済判断能力そのものの表出なのだから。外交の安倍と称し、あの昭恵夫人と手をつないででもひたすら世界を回りたがる理由もこれで読めた。
 憲法解釈の変更、安保法制強行、憲法改正への猛進、青木氏が指摘するように、それは、過去70年の平和国家日本、そのために払われてきた先人たちの並々ならぬ苦労と苦悩(それは自民党の歩みでもあった)に一片の感謝も感じず敬意を払うことも知らない安倍、学者らが考えに考え抜いた末の憲法理論と解釈、これを深く学んだことのない安倍、その安倍だからこそできた芸当だったのだ。異次元金融緩和、日銀の株買い、将来がどうなろうが構わぬ経済政策も、熟慮の結果ではなく、思慮の欠如から生まれたのだ。政治のやり方がひどいのではなかった。安倍そのものが酷い。人物が粗末に過ぎるのだ。こんな人物だからこそ周りに乗せられてあんなことができたというのが正しい。少しでも政治や経済に思慮深さがあり、政治を語るにふさわしい素養のある人物ならこんな政治にはならない。国民の生活感覚など皆目分からないし、国民目線の政治などと言ったところで理解できるはずもなく、それをベースに批判したところで「馬の耳に念仏」である。彼にとって、彼の支持者以外の国民はみな、負けるわけにいかない「こんな人たち」にすぎないのだ。国民の政治を任せてはいけない人物が政治の頂点にいる。これが間違いの根源だ。まっとうな保守政治家だったと評価される父安倍晋太郎も、おそらくは想定外の大変な過ちを冒してしまったことになる。
 
 青木氏は次のように慨嘆する。「善でもなければ悪でもないが、取材するほどに募るのは落胆ばかり」「それは不気味ささえ感じさせる」「何故このような男が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた、この国のかたちを変えようとしているのか」。「これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。」そして、登場した歴史上のタイミング(政権交代民主党政権のだらしなさ 回復過程にあった世界経済)の運の良さと、制度的欠陥として、小選挙区比例代表制とそのことによる権力の集中、自民党執行部の強大化をその要因として挙げる。政治家としての資質、能力からは彼の今の政治的位置を説明することができないのだ。歴史も時にとんでもない悪さをするものだ。 
 本には、大学の恩師の次のような述懐が出てくる。「私は今でも数%の可能性に期待しています。目を覚まし、正しい意味での保守、健全な保守を発見してほしいと思っています。でなければ、歴史に名を残すのではなく、とんでもないことをやった総理として歴史にマイナスな名を残すことになる。名誉ある安倍家の名を汚すことになる」。この悲痛な叫びも残念ながら彼には届かないだろう。普通の人にはある、それを受け止めることのできる素地、感性が彼にはない。

ただ、嘆いてばかりもいられない。何をするか分からない、何でもやってしまいそうな、そんな人物が、一端の政治家のように振る舞いながら、一定の国民の支持も得て、日本を戦争のできる国に導こうとしているのである。日本維新の会の某議員が「戦争で北方領土を取り戻す」発言をして叱られているが、そんなことよりも、日本の内閣総理大臣安倍晋三が、この日本を日本防衛のためだけではない戦争(集団的自衛権)をできる国にしようとしているという最も重大な問題を忘れてはならない。彼は日本を戦争のできる「普通の国」にしたいのだし、憲法が改正できれば、軍の最高司令官として徴兵制の実施にも何の躊躇もしないだろう(いや、憲法は徴兵制を禁止していないという解釈変更の方が心配か)。戦場に送られるのは一般庶民であって、自分は送る側の人間だ。

 世論調査安倍内閣支持の理由で最も多いのが「他に適当な人がいない」である。
この本を読んだ後でも、この人たちは同じことを言うのだろうか。安倍ではない誰か、少なくても、自分たちと同じような生活環境で育ち、人並みの苦労もし、苦難は力を合わせて克服し、みんなが助け合える社会を築きあげる、そんな国民目線で物事を考えることのできる人、それなりの勉強、努力もし、なにがしかの国民のための政治的理想も本気で語れる人、そんな人物に、あるべき日本の国のかたち、国民の生活の在り様を考えてもらいたいと思うのではないか。
 この本によって明らかにされる素裸の安倍晋三とその上辺を飾る政治言動とのギャップの大きさを知れば、誰もがこんな人物に日本の将来、子や孫の未来を預けてよいとは思わないはずだ。
 安倍が総理総裁として「適当」なのかどうか。この本ができるだけ多くの人の目に触れて、これまで知られずにいた、政治家として不適格、総理総裁ともなれば最低最悪と言うべき安倍晋三の「本当の姿」が一人でも多くの国民に認識され、広く知られていくことを願ってやまない。日本をまずは安倍の手から取り戻さなければならない。今ならまだ間に合うのだから。