安倍晋三に思う 「悪貨は良貨を駆逐する」

「悪貨は良貨を駆逐する」イギリス王室財政顧問グレシャムの言葉である。額面価値の等しい貨幣に実質価値の相違(たとえば金の含有量)があると、国民は実質価値の高い良貨は金庫にしまいこみ、結果、実質価値の低い悪貨が市場にあふれてしまうという見解で、金本位制時代の経済法則の一つとされた。この言葉は、本来の意味を離れて、世の中に悪人がはびこり治安が悪化した状態や、軽佻浮薄な文化や人物が世間でもてはやされる状況を表す場合によく引用されてきた。
 今、日大田中理事長に続き、日本アマチュアボクシング連盟山根会長の振る舞いが世間を騒がせている。そのキャラクターもさることながら、驚かされるのは、人間的にはお粗末極まりなしにしか見えない彼らが、巨大組織の中で、これに無条件に忠誠を誓う家来たち、いわゆる「取り巻き」を育て上げ、盤石とも言える帝国を築き上げていることだ。新聞は「ボクシング連盟の不祥事の数々は、権力の一極集中とこれにおもねる組織の腐敗が招いた」と報じた。
 この記事を目にして顔をしかめた人物が少なくとも二人いるはずだ。日大田中理事長と安倍晋三首相である。この総括は、この2年間国民が嫌というほど見せつけられた政治の中枢の光景そのもの、それと全く同じだからだ。安倍に集められた政治家、役人たちは、一人の例外もなく、国民に仕える身であることを忘れ、道徳倫理も捨て去って、自分を犠牲にしてまで安倍を守ろうとした。公僕というよりまさに安倍の私兵、親衛隊である。日大、ボクシング連盟の理事会と同じだ。自民党国会議員もしかりである。国民の支持率とはおよそかけ離れた圧倒的多数の議員が安倍の総裁三選を支持している。安倍政治で一向に構わない、政治に道徳倫理など無用、嘘も方便とする議員であふれかえっているのである。
 なぜ、こうなってしまうのか。一つは、田中、山根に見る「悪さ」の「桁外れ」だ。報道にみる権力欲とその拡大手法は空恐ろしくさえある。分野によって許容される「悪さ」の質や程度はおのずと異なる。「嘘をつく」「まずいことは隠せ」「力の支配」「ばれれば責任は部下、自分は逃げる」。一般には少し質が悪い程度のことにも見えるが、これが国民が生活の全てを委ねる政治世界の話となると、その資質の「悪さ」は、これで十分に立派な「桁外れ」だ。こんな総理、見たことも聞いたこともない。あまりの「規格外」が登場し我が物顔で闊歩していると、良識ある人々はみな引いてしまい、悪貨に道を譲ってしまうということだろうか。制止する者のない悪貨はやりたい放題だ。
 もう一つは人間の弱さ。みんな自分が可愛い。下手に正義を振りかざし、「悪」の糾弾に決起したところで、出世の道は閉ざされ、家族や周りの者にも累が及びかねない。損をするだけ。黙っているに限る。そして、もう一種類、より積極的に、権力に揉み手ですり寄り、何がしかの利益にあずかろうとする者があらわれてくる。三人の「取り巻き」に共通するのは後者だろう。これが質が悪い。人間誰にもあり得ることなのかもしれないが、「桁違いの悪」に触発されて、これでも大丈夫なのだ、赤信号みんなで渡れば怖くない、抑えられていたはずの醜き欲望が解き放たれる。そして、悪貨は増殖していく。
 この事態、何とかしなければならない。「今の政治状況で何ができる?」と聞いてはいけない。できることは何でもしなければならない。政治の劣化が回復不能状態に達するまでに時間はそう残されていないのかもしれないから。家庭で、職場で、安倍政治を話題にすることから始めよう。そして、あらゆる機会をとらえて「安倍晋三のような政治家は認められない」このことを社会に発信し続けよう。中立を装い、安倍擁護の意見をも平気で流すマスメディアに抗議することもあってよい。親衛隊、自民党派閥の喝采に囲まれた安倍首相は「裸の王様」、政治家失格とみる大方の国民の良識、その声が彼には届いていない、そうとしか思えない。届いていれば、あの意気揚々のすまし顔でいられるわけがない。そこにあるのは、「事実は隠す、嘘も平気」「国会、国民を欺す」「ばれれば責任は部下、自分は逃げる」「部下の犠牲も気にならず」「政治の私物化」「公務員の私兵化」、普通の政治家なら恥ずかしくて身の置き場に困るほどの前代未聞の悪評だからだ。
 「ほかに適当な人がいない」? 政策評価、人物評価? 相対比較をする前に忘れてならないものがある。「基本的道徳、倫理観を欠く政治家、それだけはダメだ」この絶対基準である。このままでは、「悪貨」が「良貨」をことごとく駆逐してしまう。