日大アメフト事件と安倍首相の命運

 これは、昨日、日大監督の監督辞任表明の前に投稿したブログである。

 政治が腐敗と堕落の極みにありながら、数の力で当事者たちの居直りがまかり通ってしまいそうなこの時に、負傷者には心からお見舞いを申し上げるが、アメリカンフットボールというスポーツの世界で興味深い事件が起きた。何が興味深いかというと、監督の指示の有無、その監督の居直り、指示などなかったとしても選手による言語道断の反則行為、最終監督責任者の責任の取り方といった問題が、今の森友、加計問題と安倍首相の置かれている立場にそっくりだからだ。
 アメフトの反則行為の方は、政治の世界のような隠蔽、官僚の忖度などなく、監督の指示を直接証明する選手らの供述も得られそうで、監督が「監督の意向と選手の受け止め方の食い違い」などの弁明で居直ることは難しそうだが、仮に選手らの告発を押し止めることができたとしても、監督がその地位にとどまることは難しい。様々な角度からの映像も残されていて明らかなように、これは万人の目に明らかな暴行傷害事件だからである。選手の勝手な行動だったとしても、これを監督すべき者が「粗暴な選手の許しがたい反則行為、これからはしっかり監督します」で済む話ではない。まずは、最終責任者がその指導監督に失敗したことの責任をしっかり示すこと(引責辞任)が、あるとしてもその再生の出発点で、それ以外の責任の取りようはない。
 忘れないようにしましょう。議員内閣制のもと国会で指名された内閣総理大臣安倍首相の行政府で、役人が文書を改竄してそれを国会に提出した。内閣が依拠する親たる国会を欺き国民を騙しにかかった事件である。日本の政治史上類を見ない取り返しのつかない反則行為を部下が犯したのである。これほどの侮辱を受けながら自民党国会議員らはこれを許し、官僚らの自己保身、総理への忖度で大臣、首相の指示は証明できそうにないが(心の片隅では、どこかで「私は首相に仕えているのではなく国民に仕える身、全てを話す」という人物の登場がないか、淡い期待を捨てられないでいるのだが・・・)、指示などせずとも、知らずにいたのだとしても、文書の改竄提出それだけで総理大臣としては国会国民に対し万死に値する部下の不祥事だ。他にも責任をとるべき事柄は掃いて捨てるほどあるのだが、これだけで十分だ。その政治的感性が、一部で言われる育ちのせいなのかどうか、この人には全くない。部下の苦しい答弁を何回聞いてもその苦衷に思いを致す様子もなく、他人の痛みなど分からない人のようでもある。その振る舞いからは、大した事件ではなかったのではないかとこちらが錯覚しかねない。加えて、安倍一強、多数に奢る自民党の中から彼に苦言を呈する者はなく、善意の諫言を述べる者もいない。まさに「裸の王様」だ。今の勢力では国会の現状も致し方なく、野党を責めるのも気の毒だ。
 そんな中、この人に人としての道理、人としてあるべき振る舞いを教えてやるには、世の中の常識、国民一般の道徳、倫理感というものを具体的な実例をもって示す以外に方法はないのではないか、そんなことを考えてもいた。そこに登場したのが、このアメフト事件である。これまでにも多くの民間会社の不祥事で、自らの直接関与はなくとも、ほとんどの場合、社長が国民に頭を下げて引責辞任していた。国民全体に迷惑を及ぼしたというわけではないのに・・。このアメフト事件、責任などどこ吹く風、カエルの面にションベンの安倍首相には世間常識を思い起こさせる丁度よい実例になりそうである。日大監督は必ず責任をとって辞めることになるであろう。国民が世論の力で必ずこの監督を辞めさせるであろう。それが日本社会で培われてきた世間常識というものであり、ある種の社会文化である。
 もちろん、安倍首相自身も自民党も、この事件の成り行きを戦々恐々と見守っているであろう。日大アメフト部監督には何とか頑張り続けてほしい、引責辞任などしないでほしいと思っているに違いない。上司、監督者の責任の取り方、その在り様を国民が思い起こし、首相の理不尽な振る舞いを再び疑問視するようになることを恐れるからだ。
 この事件で、一日も早く、まっとうで常識にかなった責任者の責任の取り方が国民に示されることを願っている。