立憲民主党枝野代表の内閣不信任案趣旨説明に喝采!

昨日の枝野立憲民主党代表の内閣不信任案趣旨説明は実によかった。ネット中継にずっと聞き入った。この間、怒り、落胆し、悲しみ、絶望もしかけたことどもの全てが、国民の思い、願いとともに、一つ残らず含まれていた。今の国会の在り様と安倍政権、自民党公明党与党議員の振る舞いに対する批判、総括として、歴史に残る名演説に違いない。
 まずは、森友、加計、公文書改竄、労働立法、カジノ、参院議員定数増の各政治的テーマが、個別にその問題点が分かりやすく整理されて提示されていたことだ。ネットを視聴した国民はこれまでの様々な政権や与党の不祥事を全て正確に思い出し、改めてその問題の重大さと深刻さを再認識できたはずである。
 しかし、この演説の最も優れた点は、それぞれの原因や問題点を一つ一つ丁寧に論じることによって、これらすべての問題に通底する諸悪の根源は、たった一つ或いはたった一人、安倍晋三その人であり、彼の人間性と彼が作り出した政治と政治家の劣化こそがこの間のすべての不祥事と政治の腐敗、堕落の原因であることを明らかにしたことである。おそらく他人に注意されたことすらないのであろうその生育環境、人を人とも思わぬお殿様、何不自由なく育ったおぼっちゃま、血筋ゆえに周りも持ち上げる、反省もせず責任もとらず、自分本位で部下への思いやりなど微塵も感じさせない彼の性格はこうして形作られたのであろう。嘘もそのなかでは許されたのかもしれない。こういう人物が国の中心で政治を動かしているのである。民主主義の危機と言わずに何と言おうか。
 私は小さい頃から、「嘘をついてはいけない。そんなのは人間のクズだ」と教えられて育った。国民みんながそうだったはずだ。その道徳のいろはが国の中枢では通じない、守られない。守られないどころか大手を振ってまかり通っている。与党議員も喝采だ。内閣与党とも嘘つき万歳の感すらある。
 そして、その空気は、政治家にとどまらず官僚のトップ(或いは官僚全体か)にまで及んでいる。人事を掌握し、国民ではなく上司や大臣、内閣総理大臣に気を使う太鼓持ち役人だけが出世できる制度を作り上げたのだから、当然といえば当然の結果であり、真実を話す造反者は一人もでない官僚たちに守られてこそ、今回の己の危機も乗り切ることができたのだから、多くの自民党議員が称賛するように見事と言えなくもない。しかし、このことは、国にとって極めて憂慮すべき問題を孕んでいることを忘れてはならない。官僚の劣化が、この間の一連の不祥事を通じて明らかになったことは幸いと言うべきではあるが、優秀なはずのトップ官僚たちがなりふり構わずここまでやるということは、官僚の質、国家組織の劣化は相当に深刻なレベルにまで達しているものと考えなければならないからである。「全体の奉仕者」への回帰、公務員意識の正常化には、制度の抜本改革を誰かがどこかでやるとしても、かなりの時間を要することを覚悟しなければならないだろう。
 また、組織と構成員の劣化、政治家らの堕落は、それにとどまらず、必然的に国家社会そのものの劣化に通じる。「嘘も平気」「嘘は方便」、責任は人に、自分は逃げる。それで、国民はどうなる?国はどうなる?「美しい国」と言ったのは誰だ? 枝野氏が言うように、それはストレートに社会全体にモラルハザード(「バレなければいい」、倫理観の欠如、道徳的節度の喪失)を引き起こすことになる。国が壊れる!
 民主主義、多数決、立憲主義についての小学生に対する説明のような下りも良かった。今の自民党公明党議員には、民主主義の意味をいろはのいから教えてやることが必要だからだ。御身大切に安倍のごとき人物にゴマをすり、国民の奉仕者たる責務を忘れた与党議員の大半には、ここから教え、自らのよって立つ足場の何たるかを思い出させる必要がある。枝野氏の「一番聞いて欲しい議員からヤジが来る」に議場が一瞬静まった場面は実に痛快だった。言わずもがなの物の理を大上段に構えられた彼らも不愉快で腹も立ったであろうが、大声を張り上げてヤジっていた議員らに、いつかどこかでふと「しかし、あそこで言われたことも・・・」と、忘れかけている政治家を目指した頃の初心、政治の根本理念を思い起こさせる契機になることがあるのかもしれない。それを期待したい。
 恥すら忘れた自民党公明党議員らはこれをせせら笑っていたが、民主主義の何たるか、政治の在り様についての見識、そして政治家としての根本理念を終始持ち続け、公衆の面前ではもちろん、国会の場でも、臆することなく、教科書にあるがままの言葉で、常に、堂々と、胸を張って訴え続けられる人物だけが政治家であり得るし、国民が政治を託するに値する人物と確信する。そういえば、安倍はもちろん自民党議員の口から「民主主義」「国民主権」「多数決とは」などついぞ聞いたことがない。最初は、「えッ そこからか?」とも思ったが、今はまさにそこからやり直さなければならないほどの与党議員ら(一部野党も)の惨状なのである。
 付け加えれば、近時とみに国民に対する批判的論説も目だってきた。国が壊れそうな危機に、なおも安倍政権支持率が高いからだ。安倍政権がのうのうと生き残っていられるのには国民にも責任がある。私は先に、国民対する信頼を失ったら「国民のための政治」を語る資格を失う、と書いた。だから、国民の良識をまだ信じる。自分だけ良ければいいのではない。みんなが幸せになれるように政治がある。政治の在り様は政治家を変えることによってしか変えられない。この国を守るため国民の叡智を結集するときだ。