気を取り直して 国民を信じよう

この間の一連の安倍政権の不祥事と国民の受け止め、反応について、私なりの総括をしてみた。日本の未来へ希望をなくさないために。
 森友、加計問題、政治というより、人間の根っこのところの善し悪しが問われた問題である。嘘はつく、つかせる、ばれれば責任は部下、自分は逃げる。人間としては下の下、それが我が国のトップにいる。
 財務省の文書改竄と改竄文書の国会提出、国会と国民を欺く日本政治史上類例のない悪事、これほどのことが起きても、監督に失敗し失格のはずの最高責任者が「これからはしっかり監督しますので、よろしく」の一言で平気で居座る。今後、政治の世界ではもちろん、社会を揺るがすどれほど重大で深刻な問題が起きようが、責任を取るのは当の本人だけで、その上に立つ者がその立場と待遇に見合うだけの重い責任をとる、いかにも日本的でもある引責辞任の慣行は、ほどなく日本社会から消えるであろう。居直り、居座りの悪しき文化が花開く。
 「権力は必ず腐敗する」と公言した自民党の広告塔も、最近の国会改革案など見ていると、結局は自民党の人気取りに好都合なだけの使い走りだ。当てにはならない。権力や権威に群がる太鼓持ちも嫌というほど見せつけられた。誰かさんに取り入りたい一心で、カメラの前で筋違い見当違いも甚だしい意見、政権の代弁者のような意見を必死になってしゃべり続ける、それを良心の呵責もなくできる人間がこれほど沢山いることにも驚かされた。TBSの「ひるおび」は好きな番組だったが、お友達であることを隠して、公正中立な法律家を装い間違った法律論まで流して安倍を擁護しようとしたレギュラー弁護士の顔を見るのも嫌になり「ひるおび」の視聴を止めた。私はTBSの報道姿勢には一定の評価をしているが、これはどうしたことか? 他のTV番組にも、こうした政治評論家の肩書を使う太鼓持ちがほぼ例外なく配置されているようだが、これが公正中立な報道の在り方というなら、権力監視のマスコミ本来の使命のはき違えだ。もちろん、これも、特に安倍政権になって顕著な報道へのあくどい圧力から逃れんがための苦渋の策であることを承知の上で言うのだが・・・。
 そして、ま近くは、避難指示が出された夜の参加者満面笑顔の飲み会、西日本豪雨被災地の復興にボランティアが駆け付ける最中、災害対策所管国交大臣を委員会室に張り付けてのカジノ法案の審議。災害救助よりギャンブル優先。何を考えているのか!いや、実は何も考えていないのだ。何をやっても平気、国民は見逃してくれると信じているのだろう。与党全体が。公明党創価学会員には評判の悪いカジノ法案は来年の地方選挙からできるだけ遠いところで可決してしまいたい、その一心。今しかない。そのためには、これほどの無理も押し通す政党に成り下がってしまったわけだ。「公明党 毒を食らわば皿までか」の川柳を見つけた。自己保身、それが最優先。自民党内はといえば、政治のあるべき姿、国民生活など二の次で自分の椅子が保証されさえすればそれでいい麻生と二階が早々に支持を決めて安倍の三選は盤石。そして、常に国民との正面からの勝負は避けて、けたぐり、引き落としも平気、勝てばいいだけの選挙上手の安倍の手腕に期待して、それだけで安倍を支持する自民党議員は依然として多い。立憲民主党を中心に野党議員は必死に闘い続けていて敬服に値するが、多勢に無勢では現状も致し方なし。
 さて、そこで、安倍や自民党が、支持は離れていないと踏んで高をくくっている国民、その国民は安倍政権とこれを支える自民党公明党のことを実際のところはどう思っているのだろうか。一時内閣支持率が下がったが、最近は不思議と持ち直している感もある。心配ではある。確かに、「軍備増強」「憲法改正」「靖国参拝」「天皇制復活」「他の列強と同じ普通の国へ」「そのためには子供の教育から、教育改革」「国、公の優先、私権の制限」、右寄りの考え方の人たちの安倍への支持は根強い。日銀に札を刷らせて株を買わせ年金基金まで注ぎ込ませて株価を吊り上げ、異次元緩和で円安を誘導し大きな貿易黒字で経済が良くなったように見せかける(その実態は為替変動でこれまでの利益も一挙に吹き飛び、株価も暴落が待っているのだが)。実際その恩恵に浴している者も多く、そうした人たちが、先々のこと、国民全体にとっての政策の適否などお構いなしに安倍を支持するというのもやむを得ないか。
 しかし、それにしても、上記の堕落腐敗の極にある安倍政権の支持率はあってもせいぜい3割だろう。そうでなければならないし、そうであるはずだ。正直なところ、安倍政権が4割を超える支持率を回復したという最近の記事を目にしたときは、あまりの驚きで、国民に対する信頼を失いかけた。国民もまた、自分のことだけ、みんなのことを考える余裕はなく、これほど酷い政治の現状にも危機感を覚えることはないのか、と。しかし、思い直した。かつて私たちは長い年月をかけた反対運動の末に新潟県巻町の原発を止めた。その時、圧倒的な保守の町、自民党支配の町(自民党議員が8割)にあって、私たちが縁としたのは町民であった。町民の良識を信じて20年間町民に訴え続け、平成6年ついに町民による「原発住民投票運動」を生み出し、その後も長く困難な道のりではあったが、あらゆる妨害をはねのけて、13000対8000という票差の原発反対を勝ち取り、巻原発を阻止することができた。そして今も、原発が争点となる選挙となれば、確実に対抗票が保守票を上回る。
 そんなに時間をかけていては国が滅んでしまうが、信ずべきは国民である。「この国民にしてこの政治」、わが国民はこの程度かと疑念を持った瞬間に、私も政治を語る資格を失ってしまう。政治は、誰のためでもない、安心安全な国民のより良い生活、そのためだけにあるのだから。まっとうな意見、正当な意見を訴え続ければ必ずや国民には通ずる。大方の良識ある国民は安倍政権と与党のこの間の一連の振る舞いを決して許すことはない。審判を下せるその時が来るのを国民は静かに待っているに違いない。国民を最後まで信じよう。